友達がいない人は、それを必要としない人になる必要があるのかもしれません。
なぜなら、友達が出来ない人と言うのは努力して友達が作ったとしても、結局の所自分らしく生きれない可能性が高いからです。
なんやかんやで最終的にはボッチに落ち着く。
ということ、ですね。
そしてこういった話が出来るのは、僕自身、そういった生き方をしてきたからです。今となっては、それなりに友人が出来た僕ですが昔はというと、なんと去年まで本当の意味での友達が出来ませんでした。
そんな僕から言わせてもらえれば、自分らしく振舞うことのできない交友関係はあまり意味のないものなんじゃないか。という理屈であり、それなら無理に友達を作る必要はないんじゃないかということ。
・・・で。
今回は、友達がいない人に向けて僕の持論を展開していく試みです。
いま、友達が出来なくてシンドイ思いをしている人や苦悩している人に、生きるためのヒントを提示出来ればうれしく思います。
目次
友達が出来ないのは
僕の場合は変わっているからでした。
他人に合わせるのがとにかく苦手で、人としゃべるときにしろ価値観の乖離が顕著化します。その結果、まともな会話が続かず呆れられる始末でした。そして多分ですが、陰口も言われていたと思います。
「あいつおかしいよな」
と。
周りに合わせられない=友達が出来にくい
そういった環境下において、友達を作ることが難しいことは必然でした。
一時期は、「どうせ下らんことを集まってやっている烏合の衆だろ」と自分に言い聞かせていたのですが、
それでも、やはり僕も一人の人間でした。友達を欲しいと思ったことはあるのです。
結論、周りの人間を見て焦る時期もありました。
適当に合わせて付け焼き刃の友情をなんとなく嗜むときもあり、出かけたり、遊んだりすることもそれなりに経験したと思います。
しかし、そこで得られるメリットはほとんど感じません。勿論、こういった人間関係において良し悪しを持ちだしていくことこそ、愚かな考え方ですが、それでも、そういったなんとなくで作った人間関係に、過ごす時間分の価値を見出すことは難しかったのです。
だからこそ、その場のノリで作り出した人間関係から少しずつ身を置くことにしたのです。
当然、ボッチに逆戻りです。
で、こういった考えを持つようになります。
いっそ吹っ切れようか
※これを見ている人が出来るか否かは一旦度外視します。
早々に結論を出せば。
僕はこういった考え方に至ります。
「一人で生きていけるようになろう」
まあ、小学生みたいな考え方です。が、こんなバカな自分を貧相な語彙で擁護するのであれば。
人間、考えに考え抜くと最終的には、稚拙な考え方に行き着くのは世の道理です。
たとえば、戦争も、そんなもんです。
歴史をかえりみると
国のトップは、いろいろな詭弁を言い張って戦争を始めるわけですが、その実は領土、信仰、食料、労力。ほしいものがあるから力を使って奪い取ろうという考えであり、この考えに行き着くのは前述した通り国のトップの人間です。
ですが、良く考えてみれば。やっていることは砂場で遊んでいる下級生を追い払うガキ大将と一緒です。つまり、結局の所人間の決断とはその考えた時間に反比例して、稚拙なレベルに落ち着くのだと思います。
だから僕も、考えに考えた挙句、こんな稚拙な考え方に落ち着きました。
しかしながら、結論としてこの生き方を齢20代前半に打ち出したことが、今後の人生を大きく変えることになると思います。
スキル磨きに没頭した22歳の僕
友達も出来ない、会社の付き合いも出来ない。そんな僕が新たに始めたことはお金稼ぎです。
現代社会は銃弾を使わない戦場だと思いますが、銃弾の代わりに活用するのは間違いなく金です。
金があれば、強敵を従えることが出来るし、ある一定の場所においては無双することが出来ます。金は身を守ることにも使えるし、人を壊すことが出来る。まさに攻防一体の、戦車のような存在であり、現代という名の戦場を蹂躙するうえでこれ以上なく必要な物。と僕は結論付けました。
つまりは、友達がいなくても一人で生きていける人間。
これは、僕にとって金を稼げる人間だ。ということで、僕はそれを目指しました。
次にその金を稼ぐのには何が必要かと言えばこれは間違いなくスキルであると分かりました。
理由は僕は野球大好きですし、歌もよく聴きます。そういった好きな物を通して結果を残し、戦果を挙げている人は間違いなくスキルを持っているわけです。
ですから僕自身も、工場に勤めながらスキルを身に着け、さらにそれを磨いていくことを目標に頑張りましたね。
この時は、文字通り死に物狂いでした。目はAからEに落ちましたし、ご飯もコンビニ弁当で済ませていたので血糖値が爆上がりです。
ちなみに、エナジードリンクも常に飲んでいて、これは徹夜を敢行するために摂った(採った)手段です。
今思うことは、結果を残すうえでは等価交換が必要だということであり、何かしらの犠牲をいとわないといけないということです。
黄金にはそれに見合った血を流す必要性があり、僕の場合は、ある程度の健康、とどのつまりは命を差し出すことによって、喉から手が出るほど欲しかった実績とスキルを手に入れたわけですね。
結果として、友達が必要のない人間になれたと思う
結果として、僕は稼げるようになりました。
そして、稼げるにつれて心の変化が生まれてきたことに気づきます。
稼げるようになるって楽しい、スキルを磨くことって楽しい。
最初は何の役に立たないと思っていた知識も実行していくにつれて、体に染みついていきます。
そして、それを使い続ければ、自分の爪となり牙となり、獲物を捕らえるうえで役立ちます。自分のスキルを行使して、お金を稼ぎそれで好きな物を食べて、好きなだけ遊ぶ。これって本当に素晴らしいことです。
でそういった状況にいる時、
「スキルを磨いているときは、周りを見なくて済む。友達がいるとか、要らないとか関係ない」
という話です。
すごく寂しい考え方です。
が、僕にはこれしかないなと思っていますし、こういった領域に入ると。
むしろ仲間が生まれるものなのです。
高いレベルに入れば、友人が出来る
自分のスキルを高めていると、ある程度のレベルに達したところで仲間が出来るのです。
同じ考えと、同じ目標を持っている人、つまりは価値観を共有できる戦友が出来るわけでありそういった人間と意見交換しているときは、精神的なつながりを感じることが出来ます。
個人的には、無駄に抱いた女や作り笑いしていたよくわからない飲み会よりも高い価値を見出せるのです。
で、それが僕にとっては「友達がいらない人の生き方」ではないかと思っています。
少しドライな考え方です。それは分かっています。
・・・それに、生き方は一つではありません。
ただ、僕の場合は時間がなくて、それに不器用だったのです。だからこそ、こういった生き方を選んでしまったのだと思います。
当然、この考えがすべてではありませんし。
とはいえやはり僕にとってはこれがベストだったなあ。と思っていますね。
となれば、ボッチは「友達がいらない人」になる必要があるのか
無いと思っています。
完全否定します。
当たり前ですが、友達なんていた方が良いに決まっているのです。僕も最近分かったことですが、やっぱり人と触れ合うことは大事なことですし、そこには温もりがあります。そのぬくもりを得るために人は頑張るのです。
大昔の人が、いろんな発明し、価値観を見出し、争い、国のために死んでいったのも。
全ては、温もりを得るためだったと思っています。
それに、
そもそもの話です。原点回帰で人間という字を見てみればどうでしょう。
これは「人の間」と書きます。これ自体、人が他人無くして生きていけなことを表しているわけです。
昔の人は、そういったことをちゃんとわかっていて、だからこそ僕たち私たちのことを人間という2文字で表したのだと思います。
といえば、人と接すること、つまりは友人や恋人を作ることが大事であることは明白ですし、これこそが生きる理由なのだと思います。
それでも、どうしても人と分かり合えない人がいる
ただ、世の中にはどうしても集団から疎外される、変わり者がいて、そういった人に友達を作ることは難しいですし。恋人なんてもってのほかです。
だからこそ。
経験者だから。
僕は言えるのですが、温もりや絆を必要としない強い人になる必要があるのです。
自分一人で何でもできる、「並み以上の人間」になることが出来れば、そういった悲しみや寂しさもいくらかは紛らわすことが出来ますし、何より人と接し関係を築いていくだけが、人間のすべてではありません。
生き方は自分で選べるわけで。
また、そういった経験を今の僕のように、自分と同じような境遇にいる人に力説することが出来、それによって人を納得することが出来れば、相当数の人々を救うことが出来るかもしれません。
それに、そのスキルで未来を切り開けば、新しい見え方が姿を現すはずですし、それもある意味では生まれた来た理由になるのだろうと思います。
だからこそ、冒頭で語った通り。
友達がいない人は、友達がいらない人になる。
これになってみるのも、一つの手ではないかなと思っています。
先述した通り、考えすぎた論理は稚拙なものに落ち着きがちですが、それでも稚拙な考えとは時として真実を射抜くこともあるわけで。
僕自身、こういった生き方に後悔はありません。今は、本当の意味でのリア充になれたと思っています。
だからこそ、一つのモデルとして参考にしてもらえれば、僕としてもこの記事を書いた甲斐があると思っていますね。
まあ、最終的な話。
生き方なんて10人10色です。焦らずゆっくりと決めていけば良いのだと思いますし、こういった論理を展開した、僕をもってして。
そこはあえて「投げやり」な方向に〆ていきたい、と思っています。
とまあ、4000字もの駄文をここまで読んで頂き、ありがとうございました。
一緒にボッチ代表として頑張っていきましょう☆彡