ハンターハンターの名シーンは数多くありますが、戦いにおける1番の名シーンは個人的に王VSネテロだと思っています。
生物の極みであるメルエムと人間の頂点に立つネテロが繰り広げる戦闘は作中でも最大のスケールで描かれており、多くの読者の印象に残ったのではないでしょうか。
戦闘経験面と初動の速度ではネテロが勝っていたものの、そのほかの能力が大きく勝っている王が攻撃を当て「詰んだわけ」です。
とうことで、単純な戦闘力では王に軍配が上がったわけです。とはいえ、仮にネテロが王を倒そうとした場合。どういった条件が必要だったのでしょうか。
今回は作品の1ファンである僕が、考察していこうと思います。
ネテロの戦力と王の戦力
まず前提に2人の能力について振り返っていこうと思います。
この作品は強さというものに明確な定義はなく、様々なベクトルの強さが存在します。人をだますのに特化したものや、ある一定の相手に強く出ることが出来るもの。シンプルな強さを極めるものなど。本人の主義主張によってその方向性がいかようにも変わります。
そして王もネテロも念能力者としてはトップクラスの実力者であることは間違いないですが、強さにおけるジャンルは違う様に感じました。
そこを明らかにしていきたいと思います。
ネテロのスペック
アイザック・ネテロ。ハンター協会の会長であり作中最強の「人間」であると言えます。
強さの理由は何といっても百式観音にあり、並みのハンターやキメラアントではまず攻略できません。圧倒的な初動の速さから、一撃必殺級の攻撃が出てくる。速くて強い、シンプルな強さがそこにあると言えます。
どれだけ戦略面で長けていても、目に見えないスピードで攻撃されれば戦略の立てようがないし、メルエムが勝負を出来たのはそのスピードに対応できるだけのセンスと学習能力の高さがあったからだと言えます。
強さを得る経緯について。
46歳で限界を感じ、悩みに悩み抜いた末に至った結論は武道に対する感謝であり、そこから感謝を体現すべくして正拳突きを1万回、毎日打つようになりました。
ただ正拳突きをするのではなく、祈りの所作をした後に一回、祈りの所作をした後に一回。と同じの動きを延々と繰り返していたのだと言います。
結果。日増しに無駄がなくなります。祈り、拝み、こぶしを突き出す。その一連の動きは人間の限界速度を遥かに超え、山を下りた時、拳は音を置き去りにしていたと言います。
一つのことに圧倒的な時間を費やし、没頭することで得ることが出来た武器。それが百式観音、というわけですね。ネテロの念系統は強化系なのですが、性格的な傾向によると「単純で一途」に当たるようです。
百式観音を得るに至った道のりもまさに、単純で一途を体現した強化系そのものなのかもしれません。
強さの結論。
やはり百式観音になるでしょう。
一つのことを徹底的に掘り下げ続けた中で得ることが出来た、最強の能力です。
相手が王だったからこそ、ネテロは敗れましたが、百式観音という能力自体はまだまだ通用していたこと、そして圧倒的な耐久力を誇る王にダメージを与えていたことを考えれば能力だけで言えば百式観音は作中出てきた能力では他を寄せ付けないものだったことが分かります。
メルエムのスペック
キメラアントが生んだ最強の生物です。
知能、武力どちらにおいても優れており、非の打ちどころがありません。単純な攻撃力や防御力はもちろんのこと、スピードと戦術面においても作中で右に出るものはいないでしょう。ただ一つ初動の速さにおいてはネテロに劣っていましたが、それすらも戦術と耐久力をもってして「詰んで」しまいました。
ネテロが百式観音というただ一つの強さを極めたというのであれば、メルエムはあらゆる分野を極めた万能の怪物であると言えます。
強さの根拠1.初期能力
強さの根拠初期能力の高さであると言えます。生まれながらにして作中最強であり、まさにこの世を統べるために生まれた生物です。
強さの根拠2.学習能力
それに加えて学習能力の高さも一つの武器であると言えます。戦いだけでなく、ボードゲームにおいてもその才覚を発揮し、世界一の棋士や囲碁の世界チャンピオンを1日足らずで完全勝利できる学習能力を持ちます。
強さの根拠3.念を食らう能力
また、人の念能力を食らうという特異な能力を持ち、これといった制約を抜きにして他人の技を使い倒すことが出来。またその技をより高いレベルに昇華させることも可能としています。
強さの結論。
最強の身体能力に、最強の頭脳、最強の能力。
文章に起こして書けば、シンプルなチートですね。まさに「死角がない」という言葉が当てはまると言えます。
これに単騎で挑もうとし、さらに楽しみながら戦っていたネテロもどうかしていると言えますが、ネテロは公式で「強化系」と言われています。
ウヴォ―やゴンも遥か強敵や困難に対し一種の高揚感を覚え相対しているところを見れば、分かる通り。強化系にはそういう向こう見ずな部分があると思います。そう考えれば、ネテロが最強の念能力者であると言われている理由には、この強化系であるということも大きく関係しているのかもしれません。
ネテロがメルエムに勝てる条件って何?
ということで、今回の本題なのですがネテロがメルエムに勝つにはどういった条件が揃えばよかったのか?考察していこうと思います。
条件1.コムギと会っていない世界線
これは原作ファンでも良く言われている説ですが、
王がコムギと会っていなければ百式観音を永遠に攻略できず詰んでいたのではないか。
という説です。これについて掘り下げてみると、僕は次のような結論になります。
五分五分だと思う。
王は百式観音を攻略するうえでの糸口をコムギとの軍議によりに見出しました。
しかしながら、仮にコムギと会っていなければどうでしょう。そこでどんな変化が起きていたのでしょうか。
恐らくは王はもっと非情になれていたのではないかと思います。非情になっていたのならば様々な人間を食らい、より強力な王として君臨していたのではないか、と僕は思っています。
王は喰らえば喰らうほどに強くなる特性があります。くわえて部下のピトーは広大な範囲を持つ円を活用できます。そうすれば、レアもの狩りはめちゃくちゃ捗るだろうし、そこで強力な放出系の能力でも得ていれば百式観音の射程外からグミ撃ちで完封することだってあり得ます。それ以前にウヴォ―のような強化系を喰らえば、百式観音をものともせずにネテロを喰らえたかもしれません。
正し。
とはいってもレア物はそう簡単に見つからないし、ネテロ攻略に使える能力が手に入っていなければ百式観音で詰んでいたかもしれません。
ということで、これに関しては結論を出すことが難しいと思っています。
生まれた時点での王とネテロの強さはどっちが上?
女王から生まれた時点での王とネテロの強さはどうなのかという話ですが、戦いの勘を取り戻していなければネテロは瞬殺されると思います。
それはピトーを見た時に
「あいつわしより強くねー?」
といっていたことからも、なんとなく分かります。ただ、実践での勘を取り戻したネテロはとてつもない強さを誇り、ピトーを一蹴しました。また王に対しても攻略の糸口をそう簡単につかませなかったところ。それに加えて王は百式観音の連撃を受け続けた結果、
鈍い痛みを蓄積させていた
という作中の描写もあることを考えれば、生まれた時点での王はネテロに負けてしまうのではないかと思います。
条件2.ネテロが全盛期だった場合。
個人的にはこれが一番勝率が高い条件かと。言ってみれば本命です。
キメラアントの討伐が仮に全盛期の頃に来ていたのならば、どうなっていたのでしょうか。恐らくネテロは戦略など考えるまでもなく王を封殺できたのではないでしょうか。
王と相対した時点でネテロは相当に衰えていたことが作中では明記されています。
わしが念能力者として、全盛期だったのは半世紀前。実力は半分以下になってしまった。
こういった旨のことをネテロは嘆いています。
そして、この「半分以下」というところがみそだと思っています。半分以下ということは攻撃力も速度も恐らくは現状ネテロよりもはるかに上であり、百式観音の威力も比べ物にならないことはほぼ間違いないです。
王のVSネテロにおける戦略はネテロの百式観音に耐えきれるからこそ成り立つ戦略であり、仮に一発一発の威力が高く、技の速度も比べ物ならない百式観音であるならば、近づくことも出来ずに外殻は砕かれ、王が敗亡するのではないでしょうか。
年の功を考慮しても。
ネテロが老人になり、戦闘経験や人生経験を蓄え、精神的に安定していた。という過程があるにしても、能力が半分以下になってしまった。というハンデ。これはとてつもないものであると思います。
全盛期ネテロならば勝率は9割近いと思う。
ということで、ネテロVS王はネテロが全盛期ならば恐らくネテロに軍配が上がるのではないのかと思います。
単騎で乗り込んだならば。
ノヴ、モラウの助けがなく単騎で乗り込んだならばどうでしょうか。
これも恐らくネテロに軍配が上がるのではないかと思っています。護衛軍も恐らく全盛期の百式観音を前にすれば一瞬で砕け散ると思います。
全盛期が過ぎたネテロの百式観音でさえ目で追うのがやっとだったピトーを見れば、仮に全盛期だったのならば手も足も出ずに瞬殺されることは確実ではないかと思います。
もしかすると殺されたことにも気づけないぐらい、一瞬で討伐されるのではないかと思います。
メルエムVS全盛期ネテロ
これは多分メルエムかと思います。
オーラの量も圧倒的に増えて、技もユピーを吸収することで遠距離砲が使えるようになりました。このエネルギー弾は着弾すればかなりの広範囲に破壊が及びます。だから百式観音の範囲が届かないところから、撃ちまくればまあ勝てるだろうと思います。
とはいってもこの時点での王はこういった勝ち方を好まないかもしれません。まあそれでも、単純な強さでネテロは負けてしまうのではないかと。
結論。結局は考察でしかない。
今回は2つのケースで考えたわけですが、結論を出せばこれらは考察でしかなくその答えを出すことは難しいということですね。
答え。ネテロは例え王がどれだけ強くても挑んだだろう。
作中においてはネテロがこんなセリフを残しています。
オレが求めた、武の極みは敗色濃い難敵にこそ全霊を以て臨むこと!!
このセリフから敵が強大であればあるほどに、自らを戦地に赴かせたと思います。そういった意味においては「ネテロが戦う」ということだけは、例え王がどれだけの怪物であっても予想できる展開なのだと思います。
ネテロのそういった所は見習うべき
そう言った点においては見習うべき場所があるのだと思います。漫画のキャラクターですが、このキャラクターもまた富樫先生が生きてきた中で得た経験値をもってして何処かで投影し作り上げた物なのです。
そういった意味ではこのネテロというキャラクターをもってして学ぶことは多いかと思います。
シンプルな努力に、強敵に挑む勇気
強い人間を体現したような生き様でした。
同じことの繰り返しを続ける心意気に、難易度の高いことに挑む勇気。現代で言えば日々己に厳しい課題を与え、野球道具を身にまといメジャーに乗り込んだイチローのような感じでしょうか。
こういった人は実績に比例して、周囲の人間に間違いなく認められるモノなのです。
最後に一言。
一歩を踏み出すことはすごく難しい。ただ。一歩を踏み出し続け、道を進み続けることはもっと難しい。