久しぶりに漫画のレビューをしてみます。
今回は金色のガッシュについてです。
まずこの漫画で言えば、僕はドストライクの世代でした。
図書室で国語辞典とか広辞苑とか分厚い本を持ち、「ザケル!」とか。「バベルガ・グラビドン」とか。
いろいろやっていた、思い出があります。小学生当時はみんな楽しんでいた作品です。
とくに単行本はおまけコーナーや絵かきコーナーも充実していました。
当時は読者の考えた、オリジナルの魔物を見てわくわくしたものです。
この漫画は数多の魅力を内包しています。
ただ、
泣ける
という点は、この作品が未だに語られる理由の一つではないかと思います。
魔物とパートナー。
2つのキャラクターが織り成すストーリーは、思わず涙するものがあります。
今回は当時の気持ちを思い起こしながら泣けたシーンを書いていこうと思います。
目次
金色のガッシュ泣けたシーン1.キッドとナゾナゾ博士
1000年前の魔物編って名勝負が多かった。ウォンレイVSツァロン、ブラゴVSゾフィス、ガッシュVSデモルト。
力と力のぶつかり合い、頭脳戦が随所で繰り広げられていて、子供ながら魅了されていました。
一番泣けるのはキッドとナゾナゾ博士の話。
1000年前の魔物編では僕はキッドとナゾナゾ博士の話がすごく好きで、はっきり言いますと泣きました。
当時は男が泣くのは恥ずかしいと思っていたし、それを見せたくもなかった、そして泣いてしまう時は、話の流れなんかでなんとなく自分でもわかるので。
家族が見ない布団の中で読んで、泣いていました。
ちょっとしたネタバレ
キッドはベルギムE,Oという魔物と勝負するのですが、敵は強大でした。
頭の良いナゾナゾ博士の策をもってしても、全く太刀打ちできないほどの実力を持っていますし、味方のキャンチョメ、フォルゴレもこの時は力になりません。
そういった時、キッドが自発的に動き出し、最終的には相打ちにまで持っていくことが出来ます。
決死の想いで最強呪文ミコルオ・マ・ゼガルガでベルギムE,Oを倒し、キッドの本も燃えて魔界に帰ることになります。
キッドという魔物がナゾナゾ博士と出会い、いかに成長したのかを見せてくれます。
金色のガッシュ泣けたシーン2.フォルゴレとキャンチョメ
一見すると雑魚キャラですが、キャンチョメはめちゃくちゃ強いです。
力の引き出し方を知らなかっただけで、その特性は魔物の中でも特異な存在、かつ最強クラスと言えます。
物語の終盤までは、力を秘めていたわけですが、天才であるデュフォーの力を借りてその力の引き出し方を掴んでいきます。
魔物には系統がある
予備知識としてどんな魔物にも、系統があります。
ガッシュ→電撃。ティオ→守り。ブラゴ→重力。
で、キャンチョメは?と言えば「幻術」となります。
相手に幻術を見せることによって精神的に追い詰める戦い方が本来のキャンチョメの姿と言えます。
初期呪文のポルクは化ける呪文ではなく、厳密に言えば相手に幻術を見せていたわけですね。
そして、心の力を使って戦う魔物同士の戦いにおいて、精神を自在にコントロールでき敵を無力化できるキャンチョメは恐ろしい存在といえるわけです。
その強さにはデュフォーも太鼓判を押しつつも、危険性を懸念するほどでした。
ネタバレ注意、闇落ちするキャンチョメ。
デュフォーの読み通り、昔からいじめられていたキャンチョメは、強さというものを手に入れたことがないため、いざ大きな力を手に入れると、調子に乗り始めました。
歯向かうやつを一方的にねじ伏せてしまう。暴君に変わり果てようとしていました。
最終的には、パートナーのフォルゴレの精神さえもコントロールし、自分に逆らうやつは完膚なきまでに叩きのめすようになります。
ただ、スーパースターであるフォルゴレは闇落ちしそうなキャンチョメを見て、身を挺してまで止めようとします。
私はいつだってカバさんだった。
私の姿はキャンチョメの目にカッコ悪く映っていたかい?
フォルゴレもかつてはライオンだった。
フォルゴレがこういった行動に出た理由は、フォルゴレ自身も昔は強さを求め続けたライオンだったからです。
しかしいつの日か強さだけでは、人間が誰一人寄り付かなくなることを知り、やさしさがなければいけないと思って心を入れ替えたわけですね。
だからこそ、自分と同じ過ちを犯しそうな自分のパートナーを必死で止めることにしたわけです。
ハードボイルドな一面をのぞかせる。
「強くなければ生きていけない。
しかし優しくなければ生きている価値がない。」
ハードボイルドの一節です。
このカバとライオンの話に当てはまる部分があると僕は思いました。
結局のところ、強さとは一面のみで語られるモノではなく。あらゆる面から見て、強い人のことを言うのではないかと。
ガッシュの良い所は、読みやすいうえに、生きるうえでの哲学も学べる部分にあります。
金色のガッシュ泣けたシーン3.清麿の卒業式
この漫画は、成長について掘り下げた作品であったと思います。
かかわりの中で経験を積み重ね大人になっていく。成長するその途中で、倒せないライバルがいたり。とんでもない悪に出会ったりする中、色んな葛藤の中で大きくなっていく。
そして、成長の先に必ずついてくるものは卒業や巣立ちといったものであると思います。
「魔物との戦い」を通して、人の成長を描いた作品がガッシュという作品だったのではないかと僕は思っています。
金色のガッシュ最終回をリアルタイムで読んだ人間の感想
一人の中学生として卒業するという〆方は斬新でしたし、かなり綺麗な終わり方だったなあと思っています。
僕はサンデーで先に読んで、単行本でもう一度読む。という作品の楽しみ方をしていたのですが、
最終回はサンデーで最初に見ました。
連載開始から追ってきた作品が、終止符を打つ瞬間に立ち会った時、喪失感と充実感が半端なかったです。
小学生から中学生までお世話になった作品で、そういった中で清麿とガッシュは中学生と小学生ぐらいのコンビで、共感する場面が多かったです。
だからこそ一緒に育ってきた作品として、素直に清麿とガッシュの卒業を喜べる自分と、複雑な自分がいました。
最終回の卒業式は個人的に、印象に残って尚且つ泣けるシーンといっても過言ではないです。
神作品でした。
やっぱり色あせていなかったですね。
子供のころ好きだったものって大抵、大人になると陳腐に見えてきたりします。それを感じさせることなく、むしろ大人になったからこそ気づける部分が多かった作品です。
ガッシュは現代だからこそ、読むべき作品
今の時代だからこそ読むべき作品なのではないか。とつい思ってしまいました。
当時の日本はまだそれほどまでにインターネットが普及していなく、生の人間の声を重視していた時代でした。しかし現代の日本は便利になる反面、横着をするようになったなあと感じます。特に人間関係はそう思います。
本来の形とはまた違う、いびつな形で人と人がつながれるこのシステムのおかげか、多くの人は人に興味を示さなくなったなあ。と感じるのです。
このガッシュベルという作品は人間と人間ではない魔物この2つのキャラクターが織り成す関係性が、本来の人間的なあるべく形を教えてくれるような気がします。僕はこれをまとめ読みしたあと、親孝行をしたくなりました。心の温かさを教えてくれる名作です。
リメイク志願勢
とまあ、話が逸れましたが。
正直アニメでリメイクしてくれないかなあ。
と思っています。特にファウード編のラストはいただけなくて、兄のゼオンがただの悪党になってしまっている・・・。
ゼオンも大きな宿命を背負わせれて、その中で必死に努力してきた苦労人でありすごく良い奴なんですよね。
だからこそそこら辺をもう一度書き直してリメイクしてくれたら。と思っています。
それとキャンチョメ&フォルゴレのカバとライオンのくだりを見てみたい。
あのくだりは電波に乗せる価値があると思っています。
ジョジョとか、からくりサーカスとか、ブリーチの千年血戦編とか昔の作品をリメイクする流れが最近来ているのでぜひしてくれれば、嬉しいなあと思います。
これを見ているお偉いさんがいたらその力で何とかしてほしいですね。
鬼滅のアニメスタッフとかが担当すれば間違いなくヒットしそうですが、いかがでしょうか。
とまあ、今回は久しぶりに漫画の話をしてみました。仕事を忘れてこういった話を文字に起こすのも楽しかったりします。
今後も暇があれば、僕の好きな漫画・アニメの話をしていきたいので、そのときはまた読んでもらえればなあ。
と思ってます。
ということで、ご清聴ありがとうございました。