野村ノートは、野球バイブルです。
名将野村克也が書き上げた書籍の一つで、現代の野球人に大きな影響を与えた。
と言えるでしょう。
現ホークス甲斐拓哉選手は野村ノートから多くを学び、リードに生かしたと言います。
また教え子である古田敦也選手は常勝軍団ヤクルトの扇のかなめを努めました。
選手以外でも、球界再編騒動時に多くの選手を率いてパリーグ存続に尽力。
結果、プロ野球界は今も2リーグ制となっています。
その他にも、田中将大、宮本慎也、稲葉篤紀、山崎武等々。
多くの選手を一流選手に育てたり、また落ち目になった選手を返り咲かせたり。
指導者としての手腕をいかんなく発揮しました。
野村ノートは、そんな名伯楽の考え方が詰め込まれています。
野球好きのみならず、あらゆるビジネスマンに影響を与えた本書。
内容はいかなるものだったのでしょう。
結論を先言えば、
「人間教育」
ここに多くの力を注いだ一冊だったのではないか。
と思います。
で、今回は、本書の内容をまとめていく記事です。
あまりに掘り下げて書きすぎるとネタバレになるので、やり過ぎは禁物として。
かいつまんで紹介していき、今一度一時代を築いた野球人のすばらしさを理解してもらえれば。
と思います。
良ければ、お付き合い願いたいです。
目次
野村ノートとはどんな本なのか?
上に書いた通り、野村克也の人生観が詰め込まれたものです。
波乱万丈の人生を送ってきた野村監督がいかにして、考え。
逆境に立ち向かい、結果を残し。そして人を育てたのか。
そこにフォーカスが当てられています。
野村監督と言えば頭脳派の監督。
そういった人が書く本だから専門用語ばかりで取っつきにくいのではないか?
そういった疑問を抱くのかもしれません。
結論、そういった心配は一切無用。
野球を知らなくても内容を理解できる他。
野球という一スポーツから横展開し、学べる部分が非常に多くあります。
仕事、恋愛、私生活。
あらゆる部分に血肉にでき、そこから自己成長を促すきっかけが生まれるはずです。
本書をオススメ出来る人は。
では、本書をオススメ出来る人達は。
ということになりますが、
老若男女すべてにオススメ出来るかと思います。
こう書けば、野村信者だと思われるかもしれません。
しかし、心の底から思うことで。
その理由は、
野村ノートは、野球人としてでなく、社会人としていかにして生きていくか。
ここにフォーカスを当てている一冊だからです。
本書の格言で、
「野球人は選手でいられる時間より引退してからの時間の方が長い。
引退してから社会で活躍できるようにならなければならない」
というものがあります。
そういったところを見ても、野村監督がどれほど社会人として賢明に活きることに重きを置いた監督なのか理解できるかと思います。
野球というモデルを使い、社会をいかにして生きていくか。
これを僕たちに教えてくれる、一冊ですから。
学べる部分は、間違いなく多いと思います。
野村ノートの内容考察。頭に残しておくべき部分。
ということで、内容考察をしていこうと思います。
僕が印象に残っている部分は、以下の3つです。
- 人間的成長なくして、技術的進歩なし。
- 勝ちに不思議の勝ちありて、負けに不思議の負けなし。
- 超一流ではなく、超二流を目指せ。
あくまでも、僕が印象に残った部分です。
本書をすでに読んでいる人は、
「他の部分が気に入った」
「なんで、あそこを取り上げないんだ?」
と感じる人も多いかもしれません。
とはいえ、そんなことを気にしていたら評論など書けやしません。
だからこそ、そこんところは気にせずに書き進めていこうと思います。
その1.人間的成長なくして技術的進歩なし
この言葉の意味は、
人間的に成長しなければ、土台が出来ず。
土台が出来ないのであれば、その上に乗っかる技術は何一つない。
という意味です。
スポーツをしている人は、特にハッとさせられる一言だと思います。
しかし、そういった分野と関係のない人でもこの言葉の真意を理解しておくべきだと思いますね。
野村監督のいう人間的成長とは。
社会に認められる。
ということです。
今の社会は、比較的「個性が認められる社会」ですがそこを勘違いして、
結果が出ればいい、みんなが笑えさえすればそれでいい。
と思っている人が多くいると思います。
ただし、そういった結果主義の人はやはり落ちていくもので、一時は価値を認められても時間とともに忘れされる末路があるのだと言います。
そこに対する戒めとして、
この
人間的成長なくして技術的進歩なし。
という言葉が生まれたのだと思います。
個性は人に認められるから、個性であって。
人に認められないものは、ただの変わり者だ。
こういった言葉も本書では残されています。
一見すると排他的な言葉のように感じますが、ネットが発展していろいろなものが公開できる現代では納得できる人も多少なりともいるのではないか。
と僕は思っています。
その2.勝ちに不思議の勝ちありて、負けに不思議の負けなし。
これは、人生レベルの格言だと思っています。
運良く勝てることはある。その一方で、負けるときには必ず理由があり、
そういう時こそ自分の行動を省みることが大事だ。
そういう意味が詰まっています。
これは、社会人でもハッとさせられる言葉ではないかと思います。
失敗をしたときに、原因究明を出来る人とそうでない人。
その差は天地ほどの開きが生まれます。
優秀な人こそ、失敗を自分の教材にし次また同じ失敗を繰り返さないよう、自らの課題を掘り下げた行動が出来るのです。
しかしながら、多くの人は自分の失敗を認めたくありません。
プライド、責任、立場などいろいろな問題がのしかかってくるからです。
今まで死に物狂いで積み上げた物を、ミス一つで失うことは恐れることは当たり前で仕方のないことです。
しかし、野村監督はそういった場面であっても自分の失敗を戒めることが出来る人こそ、一流の人間である。
と本書で語っていますね。
同じ失敗を繰り返さないのが1流。2度繰り返すのは2流、3度繰り返すのは3流
こういった言葉も書いてあります。
凄く厳しい言葉です。
僕自身も工場で働いていた時、何度言われてもミスを克服できなかったので耳が痛いですね汗。
とはいえ、これこそ一流の野球人、指揮官としての気持ちが前面的に出てきた言葉であると言えます。
一回ミスをした時点で、なぜ、どうしてと疑問を持てない人間に未来はない。
もしその分野で結果を残していきたいのなら自分の課題に真摯に向き合うことが出来るはずだ。
ミスが出れば、何かしらを学ぼうとするはずだ。そして同じ過ちをしないように努めるはずだ。
という思いが込められているのです。
つまり、
ミスを繰り返すのはプロとしての自覚が足りていないから。
「自覚を持つことの大切さ」
これを語りたかったのだと、僕は推察しています。
僕の話をしてみると
僕が仕事に自覚を持ったのは、自営業を始めたことがきっかけです。
「稼げないと、食いっぱぐれる」
そういった焦りの中、本気で頭を使い、フルで体を働かせました。
当時は自分という人間をいかにして利用し、稼がせるか?
これのみを考えていきましたね。
さきほども書いた通り、この時初めて仕事に対する意識を持ちはじめました。
で、野村監督が言っていた「プロ意識」というものがなんとなくわかった気がしました。
ミスに対して以前は「ただ恥ずかしいものだ。」という考えを持っていたのが、ある時を境に自分の成長を教えてくれるもの。
という認識に変わり、そこからでしょうか。
稼げる金額が増えていきました。
成長とは成功体験だけではなく、失敗体験からも促されるんだなと感じ、失敗に対し前向きなスタンスを取れるようになったと思います。
その3.超一流ではなく、超二流を目指せ
野村監督の言葉でとりわけ心に残っているのはこれですね。
超二流を目指せ。
これは確か、宮本慎也選手に対しての言葉だったと思います。
実際のところ宮本選手は、バント、堅実な守備、球数を投げさせる粘り打ちなど。
目立たないところで活躍し。いぶし銀として長きにわたりチームに貢献しました。
その後は名プレーヤーの称号である、2000本安打を達成し惜しまれながら引退。
まさに「超二流」を体現したような選手であったとおもいます。
この言葉、僕はすごく好きです。
二流という言葉はマイナスイメージが強いですが、「超」二流と書けば宮本選手や田中賢介選手のような職人気質のユーティリティープレイヤーをイメージできます。
これを聞いたとき、
俺も超二流になろう
と決心したもので、間違いなく僕の人生に強い影響を与えている言葉だと思います。
超二流とはどんな人間を差すのか?
自分が出来る範囲のことを確実にこなし、
実績を積み上げていく人のこと。
であると僕は思っています。
世の中は厳しいもので、自分の才能では出来ないことがたくさんあります。
160キロの真っ直ぐや豪快なホームランは誰でも体現できることではないのです。
大谷、イチロー、松井、ダルビッシュみたいな「超一流」と言われる「選ばれた人間」に誰もがなれるわけではありません。
ただし、そこで悲観するのではなく
「凡人なりの戦い方を考えよう」
そして、自分が出来ることを精いっぱい考えよう。
こう考え、実際に行動に移すことが出来れば少しずつでも現実は変わっていく。
これは間違いないことであり、そういった思いを込めて生まれたのが、
「超二流」
という言葉ではないか。
と僕は思っています。
僕も工場で働きながら、必死にマーケティングの勉強をしていたら少しずつですが成果が出始めました。
決して、天才や怪物が集まる株、FXに手を出さず、ただ自分が出来ること、出来そうなことだけに力を注ぎ続けた結果。
(ブログですね)
独立までこぎつけました。
まさに、超二流の生き方を実践した結果だと言えます。
身の程を知る大事さ
身の程を知れ
という言葉があります。
この言葉はネガティブなイメージが強いですが、結果を出すときにすごく大事な意識だと思います。
どんな勝負においても己を知らない人間が結果を残すことは難しいからです。
自分で言うのは何ですが、僕は自己分析力はそれなりに高いと思っています。
特に欠点に対する理解は深く
- 不器用
- 要領が悪い
- ところどころで抜ける
こんな感じに、恥じることなく検挙できます。
こんなことを公開して損しかないじゃん。
と思うかもしれませんが、だからこそ、大けがをすることなく今までやってこれたのだと思います。
自分だから分かります。
僕のセンスは、金やダイヤモンドのように磨けば光る派手でまぶしいモノではありません。
ただし、磨くことでより深みが出る「いぶし銀」に僕はなりたいですし、それなら目指せるかな。
と思っています。
金メダルは無理でも、努力次第で銀メダルを取れるように、今日もまた前進あるのみです。
そう、すべては「超二流」になるためにです。
野村ノートは気付きを与えてくれる本です。
野球の知識を応用し、自らの生き方を高みに導いてくれる。
野村ノートはそんな本です。
著書の野村監督は故人となりましたが、これからも野球人を超え、あらゆる人間に読み継がれていくことになると思います。
1社会人として教養を積んだ野村監督は並みの哲学者を凌駕した観察眼で、世の中を説き、そこから学べることは、両手の指では足りないほどと言えます。