ハンターハンターの中でも数多くの名シーンを生み出したキメラアント編。
久しぶりに読み返してみたので、記事にしてみたいと思います。人間と人外、弱者と強者、生と死。様々な対照的な描かれ方をしたこのタイトルは読者に多大なインパクトを与えたのではないかと思います。
特に、「死」については多くのキャラクターが無残な死を遂げたり、敵に操られたり、踏み台にされていたり残酷な描かれ方をし、トラウマになっている人も数多くいるのではないかと思っています。
ただ、そう言った部分を含めての名作であることは間違いがないと思っています。
そもそも、僕たちの世界でもこのキメラアント編に負けず劣らずつらいことがあったり、しんどい現実に打ちのめされる時があるわけで、そういった意味では自分事として置き換えて考えられる部分も多くあるのではないか。と思ったりします。
それを踏まえて今回は、キメラアント編での名シーンとそこを現実社会に置き換えて学べることをテーマとして書いていきたいと思っています。
良ければお付き合いください。
目次
キメラアント編とは
人類にとって代わる最強の生物が現れた時、それに対し人類がどう立ち向かうか。
ここをメインテーマに描かれているのではないかと思います。
現実世界では武器を巧みに使う人類が間違いなく最強なのですが、その立ち位置を脅かす生物が現れた時、我々人類はどういった風に立ち回っていくのか。
勿論妄想の域を出ない話なのですが、これを富樫先生なりに考え抜いて書きだしたのがこの話の核心ではないかと思っています。
普段僕たちがなんとなく、食べることが出来ている食べ物。そして当たり前のように甘受できている平和というのは、何かしらの犠牲の上に成り立っているということを、キメラアントという人類よりも頭が良くて強い生物を登場させることによって、皮肉を含めて読者に伝えようとしているのだと感じました。
人間と動物は決して相いれない。
どれだけ利口で口が聴けてもキメラアントは動物です。
結論としては絶対に相容れることがない、歩み寄れない。
そう言った残酷な結末にしたところは、現実的であり、いい意味で少年漫画らしくないところだと感じました。
結局のところは別の種族が出て来たとき、僕たちは武器を取って戦わないといけなくて、言ってみれば僕たちの歴史だって、弱い生物を淘汰してきた歴史なのです。
ってことで、キメラアント編のサブタイトルは「人の身勝手さ」にあるのではないかと推察します。
キメラアント編の名シーンについて。
ということでキメラアント編の名シーンを僕が思う中で書いていこうと思います。
キメラアント編名シーン1.ピトーVSカイト
キメラアント編で個人的に一番ショッキングなシーンではないかと思っています。
それプラス、普段僕たちが見ている猛獣が人間並みの知能を持てばこういった結果になるのだろうな。ということを教えてくれた内容だったと感じます。
僕たちが最強の生物でいられるのは、賢いからです。その賢さをはるかに凌駕する知性と筋力を持った生物が現れた時、きっとこのピトーVSカイトのような結末になるワケです。
多分そこら辺にいるクマが結託して、戦略を練り格闘術を操ったり拳銃を扱えば、これと同じようになるのではないかと思います。
そう言ったある意味では、人間のもろい部分を徹底的に読者に印象付けるシーンは多くの読者の胸に刻まれたのではないでしょうか。
ちなみに一コマで、カイトが善戦したところも伝えてくれます。
最終的にカイトはピトーに惨敗します。
ただ、ピトーの服を見ていると割とボロボロだし、とてつもなく硬いキメラアントの肌をいくつか傷つけていることが分かります。
このことから、カイトは間違いなく強者であることも暗に伝えているわけであり、そう言った小技も富樫先生のすごい所だなと感じますね。
キメラアント編名シーン2.ハギャたちの撤退。
すごくマニアックなところを選ぶな、と自分でも思うのですが、ここもある意味では名シーンだと思っています。
動物と人間の圧倒的なまでの差は、賢いところにあります。一方でこのシーンでは圧倒的な強さを持つ動物が賢さを持ち、その脅威性をさりげなく読者に伝えているシーンであると個人的に解釈します。
具体的なシーンで言えば、カイトとの力量差を感じたライオン型のキメラアントであるハギャは獲物を狩り、捕らえたい、という肉食動物の本能を抑え、矛を収め、そのまま撤退をします。
ライオンであった時代は、自分の強さを信じ、爪と牙を使いただ勝負をし続ける日々だったわけですが、人間の遺伝子を得たことで戦略を練り、相手の様子を見てそこからどうすれば勝てるのかを掘り下げて考えられるようになったわけですね。
ここはすごくためになるシーンかと思います。
まあ、敵側の話なので学べるか否かと議論するのもおかしな話なのですが、現実社会に置き換えればすごく大事なことがこのシーンには詰まっていると感じます。
というのも、僕たちの世界でも力量差が圧倒的に開いている相手と勝負をしなければならないときがあるからですね。
大学受験とか、仕事とか、スポーツとか、もしかしたら私生活でもそう言ったシーンがあるかもしれません。
そう言った時にどうすればいいのか、と言えば目の前の敵を分析し、そこからどういった戦略を立てるのか考察することが大事になると思います。
そして、今回のハギャのように勝てないと思った相手にはきっぱりと回れ右をして、次戦う時までに力を蓄えておく、という選択も大事になるのです。
そういった意味では、このワンシーンは富樫先生が今までの人生で学んだことがそのまま描かれているのかなと、推察したりできます。
ちなみに、こういったことに対してこういったことわざがあります。
敵を知り己を知れば、百戦危うからず
敵と自分の力量差を知って、そこから戦略や知略を練ればあらゆる戦いで負けることはないという、中国の軍略家の言葉ですね。
キメラアント編名シーン3.ピトーVSゴン
このシーンも見どころであると思います。
尊敬の対象であるカイトを殺した張本人、ネフェルピトーとゴンが一騎打ちをするシーンですね。
最終的にゴンは全てをなげうって、圧倒的なまでの力を手に入れ、ピトーに迎え撃ちます。その中でいろいろな代償を払うわけですが、これこそが強化系の恐ろしい所なんだなと、分からされた気がしました。
強化系は一番狂っている系統だと思う。
強化系の性格は単純で一途と言われていますが、それを最も極端にしたのがゴンなわけです。しかし、よくよく考えてみれば、作中の強化系は割と変な奴が多かったりします。
ウヴォーギンも自分の気持ち本位で、得体のしれない相手に対し何の情報もなしに一騎打ちを挑みますし、パームも一度執着した相手は絶対に手放さないしつこさをもち、カストロも変な系統に力を注いだ結果、メモリの無駄遣いとして吐き捨てられる。そして最強のハンターであるネテロ会長も、山に籠って延々と正拳突きを繰り返す変態です。
強化系は一つのことに執着するあまり、ネジが一本飛んでいるような奴ばっかりです。
ただ、現実でもそんな奴が成功するんだとは思います。
この作品で出てくる強化系のように、何か一つのことを決めたら、わき目も振らず一直線に突き進むタイプというのは割と成功しやすいタイプなのかなと思います。
松井秀喜は一本のバットをもって、バットが赤色に染まるまで振り続けたと言います。イチローも日々の練習を淡々と繰り返すその中で異常ともいえる安定感で、結果を出し続けました。ホリエモンも一つのこと決めたら、他のことは目に入らず、そこを極めてしまう。と著書で語ります。
どんな世界にしても一流になれるのは、狂人ともいえるぐらいに一つのことを突き詰められる頑固者なのかもしれません。
キメラアント編名シーン4.王VSネテロ
戦い、葛藤、修行、挫折、連携、戦略。いろいろな見どころのあるキメラアント編ですが、こと「戦い」における一番の見どころは「王VSネテロ」なのではないかと思います。
最強の生物と最強の人間の戦いは富樫先生自身も全身全霊をかけて書き上げたシーンのように感じますし、迫力のあるものとなっています。
知、武、耐久、スピード。すべておいて上回る王に対して、「初動の速さ」というたった一つの武器をもって渡り合うネテロ会長の戦い方からは学べる部分が多くあるなと考えさせられますね。
総合的に劣っている相手に対しても、何かしら一つが勝っていれば活路を見いだせる。まさに念能力での戦いの真骨頂を見せてくれたバトルではないかと思っています。
百式観音というただ一つの能力で遥か格上と対等に渡り合った。
ネテロは、1日1万回の正拳突きをすることによって音を置き去りにしました。
そしてその所作を徹底的に掘り下げ、磨き上げた結果、百式観音という技を編み出したわけです。
そのオンリーワンの武器をもって、最強生物である王と渡り合います。
あくまでも漫画の話なのですが、現実でも一つの能力を極めることで優れている人に勝てることが多くあります。
数字で言ってみれば、総合点が3000ある相手に対し、自分の能力が1000であっても、こんな感じで行けば勝てるかもしれないのです。
自分 | 敵 | |
化学 | 0 | 800 |
語学 | 0 | 800 |
論理 | 100 | 700 |
特殊技能 | 900 | 800 |
人間としての性能は敵の方が圧倒的に上回っているのかもしれません。
しかし、「特殊技能」においては自分が上回っています。
たった100の違いですが、この100という違いに着目し、自分の得意なフィールドに相手を引きずり込み、勝負しないといけない状況を作り出せば、今回のネテロVS王のように戦いを有利に出来たりします。
一芸を極める重要性。
このことからわかることは、一つを極めることの重要性ではないかと思います。
その道のプロフェッショナルになれば、おのずと戦い方や自分の土俵に相手を引きずり込むやり方も覚えてきますし、それが出来る人間というのが連勝街道を突き進める人間なのだと思いますね。
キメラアント編名シーン5.キメラアント編の結末
このキメラアント編が多くの人に評価されるのは、結末の付け方も一つあるのではないかと思っています。
バトル漫画にあるまじき、核兵器で息の根を止める。という終わらせ方。
そして、あらゆる生物の中で最も強かった王が一緒に死ぬことを選んだのが、人間の中でも決して強くはないコムギということ。
人間が心無い終わらせ方をするのとは対照的に、残虐極まりない悪の生物が次第に人の心を理解し、愛をもってその生涯を終える。
言ってみれば、両者の生き方や考え方が話が進むにつれてクロスして行っているわけです。そこになんと言うか趣があるのだと感じます。
本当の強さとは、弱い物の強い部分を知ることだ。
この話が教えてくれたことは
あらゆる物事は一面では測れない。
ということではないかと思います。
一見すると何一つできない弱者も別の角度から見れば、想像にもつかない強い部分を持ち合わせている一方。慈悲を持ち合わせている人間が手段を選ばない残虐な手段を取ることもある。
キメラアントという知性のある生物を通して、人間という動物、生物の本質を読者に考えさせようとしたことに深さとか味わいがあるのではないか。と感じました。
一つの哲学書のような話です。
ということで、いろいろな角度から物事を見る力を与えてくれるキメラアント編はある種では哲学書的な内容かと。
そこで何を感じるか、どう受け取るか。それは読んでいる人間次第になるのですが、それを踏まえても富樫先生が伝えたかったことが十二分に込められたタイトルではないかと思っています。
読み返すたびに発見がある、いろいろな意味で問題作です。
最後に。キメラアント編は読んで損なしです。
まあ、安っぽい言葉になるのですが読んで損なしの名タイトルだと思います。
そこで何かしら感じることがあり、考え方、哲学、人間観の糧にすれば人としてまた一歩、昇華できるのではないかと思います。
一言
人間は強くなるほど、弱い物を守らなくてはならなくなる。だから強くなることは実質、弱くなることなのだ。
まあ、こんなことを思いました。
ということで、今回は以上です。