『人生は一度きり』
このような言葉を誰しもが一度は聴いたことがあるはず。
こんなのは使い古された言葉です。
好き嫌いは良くないとか、早寝早起きはした方がいいとか、人には優しくしようとか。そういったレベルでみんな聴くような言葉です。
それでも、多くの人は
人生の尊さ
これの本当の意味を理解しないままに有限の時を無駄に浪費していく。
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いきなりシビアな切り口で話を始めたわけですが、暗い話がしたいのではありません。
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今回は
「人生は一度きり」
という厳然たる事実を掘り下げて考えたうえで、僕が思っている生き方について書いていければと思います。
人生はあまりにも尊大。
かつ
あまりにも身近なもの。
それゆえに考えることはあまりないと思います。
僕の若い頃なんて、ストロング0を片手にニコニコ生放送を見ていました。で、その後は布団にも入らず、パソコンに突っ伏して寝ていたわけです。
そんな日々を判を押したように繰り返す。
とはいっても、ある程度年を取ってくると
「人生は一度きりであること」
に人は嫌でも気づかされてしまうわけです。
これについてもうきっぱりと言わせてもらいますと、どうせいつかは向き合わないといけない問題です。ならばいっそ、このタイミングで
人生について考えてみよう
はい。
ってことで、掘り下げていこうと思います。
目次
前提「人生一度きり」って、実はほとんどの人が口だけだよ。
「人生は一度きり」
まあ、多くの大人は口をそろえて言うわけですが、
その実、多くの人がそんなに深く考えて言うわけではないのです。
右翼の人間が左翼の人間を馬鹿にしたり、資本主義者が共産主義者を馬鹿にしたり、あるいはその逆であったり。
今までの人生で周りの人が口をそろえて言っているからこそ、自分もそれを後輩とか後ろを歩いている人間に対して言っているだけなのです。
とはいえ、人生が一度きりであると理解できる時がある。
それが「終わり」を意識した瞬間です。
例えば、大病を患う。
それが癌にしろ、糖尿病にしろ。死か生か五分五分とも言える危険な死地に立ち会った場合。人は、異口同音に、
「人生を精一杯生きようと思った」
と言います。
こんなことが言い切れるのは、僕の祖母がそう言っていたからです。
僕のおばあちゃんは別にすごい偉人でもないのですが、身近な存在だからかそういったことを言っているのを何度か聞いたことがあります。
で、お年寄りというある意味では「終わり」にすごく近い人間が言っているからこそ、どんな偉人が言うよりも説得力があったりします。
「死」を意識すると「人生は一度きり」の意味がわかる
ただ僕自身も終わりを意識することがあって、それは仕事を頑張っているときです。
僕はまあ、人に誇れるような仕事をしていないのです。というのもアフィカスをしているからです。
がそれでも、頑張って仕事が終わり、布団に横になる時
「俺は後、何文字書けるのだろう」
と思ったりします。ライターである僕は命を削りながら文字を書いているのですが、文を書き始めれば文末が来て、句読点を打たなければならないように。
僕の人生にも句読点を打つ日、つまるところピリオドを打つ日がやがてくるのであろうことをなんとなく理解できてしまいます。
どんな仕事もそうだ。
これは、どんな仕事をしている人も同じではないでしょうか。
工場で汗を流している人も、営業をしている人も、スポーツで飯を食っている人も。
新品の工具もいつかは使えなくなります。どれだけ楽しい取引にも終わりは来るでしょう。また全盛期がどれだけ凄く例え、「怪物」と呼ばれる選手もいずれ引退しなくちゃなりません。
とはいえ、こんなこと言わなくたって
「始まりがあれば終わりが来る」
ことを、皆なんとなく知っているのではないかと思います。仕事に終わりがくるように、人生という仕事にもまた終わりがくるのです。
終わりが怖くないのなら、それはまだまだだという証拠
「人生は一度きり」ではあるが、永遠に続くかのように感じている人は多くいると思います。
ちょっと厳しく言います。
それって、今を軽く見ている人ですね。
今を本気で頑張っているのならば、絶対に終わりというものは意識してしまいます。もう包み隠さず言えば、自分がいずれ死んでしまうことを悟るわけです。
そう。人生は必ず『死』によって終わります。そしてその『死』はいつ来るかわからず、一度死んでしまえば、そのたった一度の人生は終わります。
業界で活躍するすごい人はそれを知っているのです。
だから、今日の仕事を頑張る。
そして、これを繰り返すことによって日々を充実させていくという寸法です。
毎日頑張っている人は、とどのつまりは「今日頑張ること」を延々と繰り返しているだけなのです。
まあ、しがないアフィカスの言葉なので真に受けるのもあれですが。
はい、最後になります。
人は『死』によって一度きりの人生が輝く
Apple創業者のスティーブジョブズは
「今日が人生最後の日だとしても、その日やろうとしていたことをするだろうか」
という言葉を残しています。
まあ、ちょっとわかりにくいので直訳すれば、
今日死んでしまうのに、お前はいつも通りしょうもないことするのか?
ってことです。
これ以外にも死、つまるところ終わりを意識し、後世に届けようとした偉人はたくさんいます。
偉人かどうかは分かりませんが、僕はBUMPOFCHICKENというロックバンドが好きでして、彼らの作った名曲「ガラスのブルース」ではこういったワンフレーズがあります。
生まれたことに意味があるのさ、一秒を無駄にしちゃいけないよ
サビでも何でもないワンフレーズなのですが、すごく心に残っています。
ボーカルの藤原基央はこれを10代の時に作曲したのですから、すごいなあと思います。きっと命について考える機会が多かったのでしょう。
まさしくロックンロールです。
話は戻ります。
まあ、私事を挟みましたのて今一度偉い人の話をしましょう。
イェール大学教授 シェリー・ケーガンは著書で
「死」は恐れるものではなく、一度しかない人生の価値を担保する素晴らしいものである
と述べています。
流石にポジティブすぎだろ、と思いますが世知辛い世の中です。
このぐらいの気前をもって取り組んでみるのが良いんでしょうね。
「人生は一度きり」と実感して初めて、頑張れる
『やる気がでない。』『行動するのが怖い。』『失敗するのが怖い。』
こう考えて、
『変わりたい』
このように思う人は、終わりを意識しましょう。
そのあと、「人生は一度きり」と考えてみてください。
かの巨匠スティーブンスピルバーグは
いかなる映画であろうと私はラストシーンから描く
という名言を残します。
多分、人生も一緒です。
どうやって棺桶に入りたいのか。
どんな最後を迎えたいのか、どんな人たちに囲まれて最後を迎えたいのか、周りからどう言われて最後を迎えたいのか。
死は怖いですが、怖いものと向き合うことで人生の見え方は大きく変わるわけです。
そうして恐怖を耐え抜いた後で、「人生は一度きり」という言葉が実感でき、その人生には深みというものが生まれていくのではないかと。
余計なこと
人生はたった一度きりです。
でも、たまには後先考えずに馬鹿をやってください。
人は馬鹿なことをするから、賢くなれるのです。
別にアフィカスになっても良いし、それが嫌ならユーチューバーになっても良いじゃないですか。
未来なんて、今からちょっとだけ動けば簡単に変わってしまうものです。
人生は一度きりですが、チャンスはいくらでもあるのです。