自分が嫌い
自分という人が本当に嫌いで、生きていることが辛い。
嫌いと言っても、度合いがあります。
例えば、一部分だけが嫌いならば、そこを改善すれば今後困るようなことはないでしょう。
しかし、今まで歩んできた人生、容姿、自らの生き様など、全てにおいて自分のことが嫌いになっている人もいたりするのではないでしょうか。
自分に対して、嫌悪を抱いていると、心に余裕がなくなり、周りにいる人にも感づかれたりしてしまいます。そうすると、周りは気を使うし、さらにはいら立ちを見せる人も中にはいたりするのではないかと思います。
その他者が自分に向けるいら立ちのせいで、さらには人間を嫌いになり、そしてより自身のことも嫌いになっていく。
これでは、人生のお先が真っ暗です。
ただただ、自分が嫌いなだけならばいいのですが、自分を嫌いになるということは、思っている以上に生き方に反映されると思います。
そして、自分の情けなさと存在意義の薄さを実感した結果、さらに自分という人間の生きる意味について深読みしてしまう。
今現在の人生が、それなりにハードモードになっている人は多くいるのではないかと思ったりしますが、いかがでしょうか。
目次
感情の使い方を覚えること
ただ、感情は使い方によって強力な燃料になるので、自分が嫌いな人は、それをモチベーションにすれば良いと思っています。
と、簡単には言いましたが、それが出来れば苦労しねえよという人も本当に多いのではないかと、個人としては思います。
大事なことは、自分が嫌いであることをモチベーションにできる、心持、精神的基盤を作ることにあるのではないかと、個人としては思ったりしていますね。
それを踏まえたうえで、今回は、自分が嫌いな人に向けて、段階を追って「自分嫌いな自分」との向き合い方について、書いていきたいと思っています。
僕自身の話
人間には陽、陰の2タイプいると思います。
僕は陰の方でした。
人生においては、周りに遠ざけられることも多く、そういった周囲に対して歩み寄ろうとせずに、ただただ世界を恨んでいました。
そして、そういったライフスタイルは幼少期の頃から確立したものであり、いまだにとれていません。つまるところ、いまだに僕は陰の属性を背負って生きています。
それでも、陰としての人間の属性を熟知し、自らの対話をしっかりしていった結果として、それなりに陽の方々と歩み寄るすべを身に着けましたし、自分が社会の中でどうやって立ち回っていけばいいのかをある程度、学ぶことが出来たと思っています。
結論として、僕は
一人の方が上手くいく
と思っていて、それは、今やっている仕事にもある程度影響を与えています。
しかし、最初から、自分一人で上手くいくと考えるのと、ある程度苦労をして、その先で
「やっぱり、俺は一人の方がいいや」
と結論づけるのでは、意味が変わってくると思うのです。
僕は、世の中に対して、恨みを抱いていたのですが、一番恨んでいたの自分自身でした。自身を恨んでおり、あらゆる事柄に疑念を抱いていたからこそ、どれだけ高尚な出来事に対しても、負の側面を覗く癖が出来てしまっており、まずは疑い、否定する癖がなかなか抜けませんでした。
結果、他人を、世を、隣人を恨んでしまっていたのだと思っています。
そして、そんな自分に対して、自分嫌いが加速し、どんどん心が貧しく荒れていったのです。
これが、僕自身がそれなりに自らを変えようとして分析した結論です。
自分が嫌いな時は、ちょっとだけ立ち止まってみることが重要です。
沼にハマっている時に、もがいても、沈んでいくだけ。
それなら、一旦サボってみて、ちょっとだけ楽をしましょう。
時間はたっぷりあり、仕事や今の人間関係が全て、というわけではありません。
仕事、私生活、人間関係、いろいろなモノが取り巻く社会です。そういったものとの距離が近すぎて、疲れてしまうこともあるだろうと思います。
自分が嫌いな時にやってみて、良かったこと1.本を読んでみること。
話がいきなり変わって、申し訳ないのですが、自分嫌いな時にやってみてよかったことを書いていこうと思っています。僕自身の体験談なので、参考になるかわかりませんが、実践してもらえれば幸いです。
とにかくは、本を読んでみること、活字を読み続けることが、効果的です。
生きているうえで、何の役にも立たない小説を読んでみることがおすすめです。経験則ですが、自己啓発書は書いている人の考え方が強く出過ぎているので、それに毒されてしまいます。
心が強い時に読めば、頭も聡明に働くので、良い情報と悪い情報の取捨選択がある程度出来ますが、心が弱っている状況でそういったものを読むとどうにも鵜呑みしてしまうのです。
ですから、小説などの言葉で表現される世界がおすすめです。
小説は自己啓発に比べて、そういった生き方におけるノウハウなどが控えめですし、キャラクターを通して、自分の生き様のロールモデルを見つけ出すことが出来ます。
そういった人物は架空でしかないのですが、それでも、その人物を作り出した人がいます。つまり、その「人物の生き様」は存在しているのです。
作中に存在しているキャラクターの生き方を添え木にしていれば、苦しい時に頼ることが出来て、努力を継続したりできます。それが、一つ自信になり、自分嫌い克服の糧になってくるのです。
小説を読んでいて、参考にした人物は数知れずですが、僕自身は百田尚樹先生のボックスという本に描かれている木樽優紀君が一つ人生の指針になっています。
小説なんか読んだって意味がないでしょ
上のことを思う人もいると思いますが、その通りだと思います。
お金も稼げないし、会話でも小説の話なんか持って来れば、周りから見ればただ知識を振りかざしたいウザい奴に思われます。社会で生きるうえで小説なんて読んでも意味ありません。
パリピな大学生の方が、社会的には成功する確率が高いと思います。一緒に仕事をするのなら、そういった人が会社では重宝されるはずです。
イケてる人がお酒を飲む傍らで、部屋に籠って本を読むことなんて、はっきり言って無駄でしかないと言えます。そこに意味はない。
ですから、読む意味は自分で見つけるのです。
何もない所に、意味を作り、そこに向かって意味のない作業をする。
全くもって無駄な作業です。しかし、人生とは突き詰めれば、そういったものではないかと思ったりします。
自分が嫌いな人は、結局のところ、周りのことをうかがって自分がやっている行動、生き様、立ち振る舞いに点数をつけている人が多くいるのではないかと思います。
あの服を着ているから20点、あの人の考え方は40点、この人は世間からこういった評価を受けている80点。
そうやって、物事に意味を見出そうとするから、最終的には自分という一人物に対しても価値を考えてしまいます。そして、考えた結果、
自分はどうにも、周りに劣っている
と、結論づけてしまうのです。これは優秀な人こそこう思いがちなのだと思っています。
しかし、人生とはケチがつくものです。他人と自己を比べた時、他者と劣っている部分があるのは当たり前です。
ですから、いちいち自身の言動、考え方、思想に価値を置いたところで仕方がなく、加点、減点方式で考えるのではなく、結論は
世の中にあるもの事一つ一つに自分でどういった風に意味づけするかが大事になってくるのではないかと思ったりします。
活字で意味づけの練習をする
そういった意味において、やはり、小説は効果的です。
小説を読んで、なるべく自分で、その話に対してどういった物語なのかを考えてみるのです。小説を読んで感じたことには答えがありません。答えは自分で作るのです。
その小説が出来上がるまでのバックボーン、書いている作者の心境、自分自身が読んでいくにつれて、起きた心の変化。
そういった心の動きに対して、敏感に反応し、考える。
そこの過程の中で、豊かな心がはぐくまれていくのではないかと、僕は考えます。
踏まえて、意味づけをする作業の基盤は、活字で物語を読むことにあると思っています。
ですから、書店に行くなり、電子書籍を買うなり、出来ることをこなしていくことです。活字をよみ、文章構成を学ぶことです。
遠回りになりますが、その過程の中で人として、精神的な独立があるように思っています。
自分が嫌いな時にやってみて、良かったこと2.文章を書く
上の通りです。
僕が文章を書こうと思ったいきさつは、非常に長くなります。
前提として、最初から文章を書こうなんて思ってもいませんでした。
しかし、いざ文章を書こうと決心し、その文章を多くの人に見てもらう環境に身を置いてみると、精神的な部分に大きな変革があったと思います。
そして、行きついた結論は
人間の心は情報を集め、それを自分のフィルターで通し、そしてアウトプットすることで成熟する
ということです。
自分なりに結論を出し、それをアウトプットする力は大事です。
生きていれば、周りにはいろいろなことが起きますが、それらをありのままで理解するのではなく、どういったものなのか調べ、その中で自分なりに本質を知ろうとする。
そして、本質に至るまでに踏んできた過程を、そして導かれた結論をアウトプットする。そうすることで、人の心と頭脳はより聡明に高いレベルに行きつくのではないかと思ったりします。
そして、自分で物事を考えることが出来るようになれば、自分を嫌いになる前に
考え、答えを導き出す
というワンクッションを置くことが出来るようになるのです。
つまるところ、思考に「理」が加わるのです。嫌いになると言うのは感情ですから、その感情に対して、相性がいいのが理です。
ですから、自分を嫌いになるシーンでも立ち止まることが出来るようになる、という道理です。
といっても、これは文章で書かれていることなので、自分で行動をしてみないことにはわからないと思いますが、人生に行き詰ったのであればやって見てもらえればと思います。
僕が文章を書こうと思ったいきさつ
現在僕自身は、サイト作成とアフィリエイトを並行して行っています。
その中で、収益を得て、生計を立てています。
昔、工場員として働いていました。
その中で、将来に不安を抱いたこともあり僕は副業でサイトの作成を始めたのです。昔から本を読むことは好きだし、文章構成を読み解くことも好きだったので、向いていると思いました。
しかし、副業を始めた時にいきなり挫折をしました。
どれだけ文章をうまく書けても、サイトを作る技術がなかったからです。当時はブログをただ開設し、そこに文章を書けば人は来ると思っていました。
それは間違いで、お金を稼ぐためには、それなりに良いサイトを作らないといけなかったのです。それに加えて、僕が書く文章はまだまだ稚拙で読むに堪えないものだったのです。
読むことと、書くことはやはり違うわけです。
へこたれない心が大事です。
それでも、一度始めたこともあって、継続をして行きました。そして半年ほど続けてきた中で、それなりに読める文章を書けるようになりました。そこで、一つ成長を確信し、日々はより忙しくなりました。忙しくなるのと並行して、自分自身を卑下する暇がなくなりました。
そして、どんどん技術に磨きがかかり、自然と己のことを好きになれるようになりました。
しかし、それでもまだ稼げなく、そこで初めて教材というものを手に取りました。お金を稼ぐために初めて他人を頼ったのです。
僕が活用したのは、トレンドアフィリエイトについて掘り下げてある教材で、そこにはサイトの作成法から、安定して稼ぐ方法まで細かく書いてありました。
それを理解すべく、知識を吸収→実践、これを繰り返す日々です。
1年頑張ることがいかに大事なのか。
1か月後に、月に1万PVほど稼げるようになり、半年後には月間200万PVのそれなりに規模のあるサイトに成長しました。
その時、自動的に本業を超えるほどの収益が得られるようになっていたのですが、そのときはお金よりも自身の能力の成長こそが、精神的な土台となり、自身となっていたような気がします。
自分が嫌いな人は、思い切って、行動をしてみると良いと思う
日々努力を行っていけば、おのずと考える力、他者に影響されずに行動する力が磨かれると思います。
そのタイミングで思い切って勝負に出てみると良いと思っています。
日本という国は、基本的に勝負に出る人に優しい国だと思います。高卒でも中卒でも副業や小遣い稼ぐなら始めることが出来ます。
僕も最初はそこからはじめました。
最初のうちは当然の如く失敗の連続ですし、豆粒程度の成功に喜びを感じることだと思います。それでいいのです。
継続していく、労力に対して大きな成果を出せるようになってくると、だんだんと貪欲になっていき、そうなってくると、自然と自信というものが持てていると思います。
シンプルなことを実現するために、おびただしい程の遠回りをする。
自分が嫌いな人が現状を脱するためには、突き詰めれば、自信を身に着けることです。
で、口で言うのは簡単で、それが出来れば苦労しないのです。
大事なのは、そこに至るまでのいきさつ、どうやって、自信を得ていけばいいのかその道のりを考える事になるのです。
そういった中で、結論を出すのであればともかくは日々インプットを繰り返して、自分で仮定を組み、その中で結論を出せるようにすることかと思います。
そして、自分が何をするのか、しっかりと決めておくことです。
お金を稼ぐと言っても、それだけでは成果は出ません。
具体的にどうやってお金を稼ぐのか、それを決める必要があります。
僕の場合は、サイトの作成をとにかく頑張り、そこから収益を得るための基本を積み上げていきました。それを一年頑張りました。
途中で軌道修正を繰り返し、その中で、最終的に月に30万円ぐらいを稼げるようになったのです。
とはいえ、得た金額は一種のおまけで、僕にとっては他人ではなく、自分でやることを決め、努力し、そこに至るまでの努力を出来た。
ということが、自分嫌い克服の大きな要因となったと思っています。
現代は、勉強さえすれば、出来ることは非上に多いと思っています。ですから、ともかくは精神的に誰かの影響を受けない強固な心を作り、その中で作業に没頭できる環境を作っていきましょう。