金色のガッシュという漫画をご存知でしょうか。
この作品は知る人ぞ知る名作であり、サンデー黄金期を支えた作品のうちの一つであると思います。
調度10年ほど前。当時のサンデーは犬夜叉とか、メジャーとか、クロスゲームとか結界師とか。コナンとか。
オールスターって感じで、魅力的な漫画が揃っていた気がします。
その中でも、金色のガッシュという漫画は異彩を放っていて、
魅力的なキャラクターが多く、泣けるシーンが非常に多い神作品でした。
今もなお語り継がれるほどですが特にキャラクターについての議論が交わされる漫画であると思います。
今回の記事は、そこの流れに乗って書いていくつもりです。
先に結論を出しておけば、僕はフォルゴレが最もカッコいいキャラクターだな。
と思っています。
そして題名でご理解いただけている人も多くいると思うのですが。
つまるところ、今回の記事はフォルゴレの良さについて語る記事です。
フォルゴレはあまり好きじゃないなあ。
と思う人にも、このキャラクターの良さが分かってもらえるように書くことを目指していくので。
良ければ、読んで行ってもらえれば。
と思います。
目次
フォルゴレというキャラクターについて簡単な説明
フォルゴレは、イタリアの英雄です。
職業は、世界的映画俳優で押しも押されぬスーパースター。
一言で言えば、人気者と言えます。
しかし、特に女性からの支持がずば抜けていると言え、
セクハラまがいのことを頻繁にするのですが、たいていの場合逆に喜ばれるほどです。
羨ましいと言えますがこれもまたフォルゴレという人間の魅力がなせる業。といっても差し支えないと思います。
パートナーのキャンチョメ
パートナーとなるキャンチョメは、弱虫で落ちこぼれです。
初期の頃は攻撃手段が全くなく、相手を欺くことしかできない点を考えると。
キャンチョメという魔物が生き残れたのは、フォルゴレの活躍が非常に大きいと言えますね。
後述する通り、フォルゴレはずば抜けたタフさを有しており、パートナーとしての能力は非常に高い部類に入る。
と言えるでしょう。
体格
体格は恵まれており、190センチジャスト。
大谷翔平が193㎝。バスケ界のレジェンドであるステフィンカリーが191㎝。
クリスティアーノ・ロナウドが187㎝。
と考えれば、アスリート並みの高身長を持っていると言えますね。
フォルゴレの過去について
多くの人は知っていると思いますが。
その昔、フォルゴレはかなりの乱暴物でした。
イタリアの片田舎で、強さとカッコよさのみを追い求めたライオンだったのです。
自分に逆らうものは、腕っぷしでねじ伏せ。たまには人助けをするものの、その助けた相手にも恐れられる。
結果的に人は寄り付かなくなり、両親にさえも勘当されるほど暴力に飢えていたわけです。
そういったいきさつも経て、故郷を追われます。
放浪をする身になったフォルゴレですが。
ある日のこと運命的な出会いを果たします。
それは街頭のテレビに映るカバの姿でした。
自らの牙に小鳥を乗せているカバを見たフォルゴレは、
たとえかっこ悪くても周囲に受け入れられることに価値を見出し。
それまで持っていた価値観を一新し、新しい生き方を歩んでいくことになります。
これが、イタリアの英雄パルコ・フォルゴレの第一歩であったと言えます。
フォルゴレから学べるところを書いていきたいと思います。
という感じで、フォルゴレというキャラクターについてちょっとした紹介をして行きました。
先に答えを出すと。
フォルゴレのカッコよさというのは、かっこ悪さの中にあるのだと僕は思います。
自分の過去を憂いそこからいかにして立ち上がるか考え。
答えを見つけ出し、行動に移す。
その結果、あえて道化を演じていくというのがフォルゴレの選んだ道。
ということですね。
強くなろうと多くの人が努力する中で、あえて弱くなる。
という選択肢を取ることに、一見すると意味がない。
と感じる人もいるのではないかと思います。
しかし、弱い人間の立場に合わせる。
そうすることで、困っている人や、苦しんでいる人間に出会った時。
心の底から、勇気づけることが出来るわけですね。
これが出来るかと言えば、誰もが出来るわけではありません。
そしてフォルゴレはそれが出来るからこそ、イタリアの英雄として多くの人に受け入れられている。
というわけですね。
そして、本来落ちこぼれで劣等感を抱きがちであったキャンチョメも、
パートナーがフォルゴレだからこそあれほどまでに頑張ることが出来たわけです。
やさしさと強さの使いどころは、現代においても大事なことだと思います。
フォルゴレは、強さとやさしさの使いどころが上手い人であると感じます。
持っている強さを振りかざし、それを周囲にまき散らせば自分の力を証明できるかもしれませんが。
周りからすれば、恐怖の対象でしかありません。
しかし、使いどころをしっかりとわきまえていれば、本当に守りたいものがあったときに、
その力をいかんなく発揮でき、多くの人を救えるわけですね。
強さというのは、兵器のようなものなのでしょう。
ダイナマイトは凶悪な兵器として悪用されましたが、本来はトンネル工事の効率を上げるための物だった。
と言いますし。
また、核融合という技術は歴史上最悪の兵器を生み出しましたが、使いどころさえ間違えなければ。
多くの幸せを生み出す可能性がある最先端の技術でもありました。
これと同様に、人類レベルの話を縮小した個人でも、持っている力をいかにして使っていくか?
これが人間としての器量を左右するものであると言えます。
過去の失敗から力の使いどころを学んだフォルゴレのように、僕たち読者も力を手に入れた時。
いかにしてその力を使い、役立てるか?これを考えることこそが大事なことなのではないか。
と思います。
好きな言葉
僕の好きな名言にこんなものがあります。
強くなければ、生きていけない。
しかし、優しくなければ生きている価値がない
これはハードボイルドの一節ですが、ハッとさせられる言葉ではないかと思います。
確かに、能力がなければお金を稼ぐことはできませんし、ご飯を食べていくことが出来ません。
しかしながら、いかに優れた能力をもってしても優しくなければ、今回紹介したフォルゴレのように周りから人は離れていき。
人間として最もつらい孤独を味わうことになるのです。
今強くなることに執着している人は
強くなることと同時に、人間的にも大きくなること。
これを意識すべきなのかなと思いますね。
僕も、仕事がうまくいくと調子に乗ることがあるので注意しなければなりません。
だから、一方的に注意喚起できる立場ではないのですが。
それでも、仮に自分で調子に乗っているなあと思った時、周囲を見渡し。
躓ている人がいないか、確認できるようにはしていきたいと思っています。
わずかでも良いので、周りを見る力があれば
たとえ強くなることに心の大半が占拠されていても、わずかな隙間で弱い人間と向き合え。
目線を合わせてあげられる心があれば、行く末は大きく左右される。
今回はフォルゴレというキャラクターがロールモデルとなり教訓となったわけですが。
現実を見ていても、強い力を有しながら、弱い人間の目選に合わせられる人は評価される。
そういった世の中になりつつあると思います。
最後に
フォルゴレというキャラクターと、そのキャラクターから学べる部分。
この2つを僕なりに考察してみました。
いかがでしたでしょうか。
せっかくなので、今回の内容に則した名言をここでも一つ紹介をしておきます。
野球好きならばご存知、名将野村克也はこんな言葉を残しました。
人間的成長なくして、技術的進歩なし。
人として成長しようとしない人間が、能力を磨き上げられるわけがない。
ましてや結果を残そうなんてもってのほかだ。
そういった思いを込めて、選手たちに言い聞かせていたらしいです。
これは野球選手だけではなく、僕たち社会人にも言えることだと思います。
結果を出すことに執着した結果。
本当に大事な本質を見誤り、すべてを失う人は少なくないわけです。
人として充実した心を身に着けるため。
自分は何を意識すべきか。自分との対話を大事にして、一社会人として前進していくことが、大事なのではないかと思います。
そして、人間的に成長できるきっかけは、今回読んだ漫画も悪くない役割を果たすと思うので。
積極的に読んでいくことを、お勧めしますね。
金色のガッシュは、完全版が令和のこの時代でも絶賛発売中です。