真面目に頑張っているのに、要領良く生きられない。
日常生活をしていると、ふとしたときに自分の不器用さとか、至らなさに嫌気が差してくる場合がある。
人に言われたことを一発で理解できない。理解できても、体が頭に着いてこなくて集団や周りから遅れを取ってしまう。
変に考えすぎる性格もあって周りからの評価が気になり、あらゆる行動に積極性が無くなってしまう。
こういった場合、どうすれば良いのだろうか。
僕たちに出来ることは何があるのか。
それについて考えてみる。
ちなみに管理人も頭が悪いタイプの人間で、現在も改善している途中である。
だから、これは良くあるハウツー系の記事では無く、成長日記的なものと捉えてほしい。
今思っていることを文章として残しておくと、将来見たときに、自分の成長を実感することが出来る。
また、昔は使っていたのに、成長するにつれて使わなくなった文法的な技術もふと目にとまり、改めて拾い直すことが出来る。
文を残すという行為は、未来への自分に対して、かなり高尚な供物であると思う。
もし、管理人の中で進捗があれば記事内容を変更するかも知れない。(2024/10/28 20:14)
この文章でどれだけの人間が救えるのか分からないけれど、自身の体験談を交えて書く。
真面目で頭が悪い管理人ゆとり
管理人のゆとりも『要領が悪い』。
人生を振り返ってみると、後れをとりまくって逆に周回遅れになってしまうこともしばしばあった。
頭の悪さで苦労したのは僕の場合、2種類あった。
(一人称を管理人と書き続けるのはアレなので、今後は『僕』としたい。)
それは、精神的な頭の悪さと、普通の頭の悪さだった。
僕の場合、精神的な頭の悪さ(多分EQって呼ばれてる奴)が人生のあらゆる場面で悪さをしていたように感じる。
ほかの人に比べて子供なのか、それとも感じすぎてしまうのか。プライドを捨てられない弱さがあった。
普通の人は何かしら壁にぶつかったとき、ある程度素直になって、教えを請うたり、自身の弱さと向き合って一つずつ問題解決に着工し、一枚一枚、脱皮をして成長するモノだと思う。
僕はなぜか、自分を愚かであると認める強さが昔から欠落していた。その要因は分からない。
そのくせして、他人にいい顔をしたいから努力するけれど、あくまでもそれは振りであって、努力では無い。
今ある程度、マシな人間になってて思うのだけど、努力とは自身のなりたい目標に向かって筋道を立ててやるモノだ。
それは他人へのパフォーマンスでするモノでは無く、水面下、見向きもされずに行われるモノだ。
僕は他人が見ているその場限りでは頑張るけれど、継続性や計画性が欠くため、実になることも、花咲くことも無い。
それを20代後半まで続けた。
変われたのは、人生に諦めが付いた時だった。
人が人間的に賢くなる瞬間は人によりけりだと思う。だけれども、僕に限って言うのならば、捨て去った時に人は賢くなると思った。
いや、捨て去ると言うよりは諦める、と言った方が正しいのかも知れない。人は希望があると大なり小なり頭が悪くなるのだと思う。
僕は若干ナルシストな部分があって、今までの人生で回りの人に馬鹿にされてきたけれど、それは周りが俺の才覚に気付いていないだけだ、と心のどこかで思っていたんだと思う。
これは単に自己防衛本能が働いていた訳なのだが、本来見るべき世界から目を反らさせる結果につながっていた。
けれど、それなりに年を食い、諦めが付いてきた時に、ふと等身大の自分に気付けるときが来た。それは希望が失われる瞬間だったけど、希望がなくなったおかげでずいぶんと視界が良好になった気がする。
そして、いろんな人としゃべれるようになった気がする。うれしかったのは過去の僕みたいにナルシストで自信過剰なタイプに好かれ出したことだ。
こういったことを書くと、嫌みだけれど、過去の自分に似ている人と一緒にいるとすごく勉強になる。ある意味では復習になる。僕みたいなタイプは虚勢をはる分、内面は寂しくて助けを求めていることが多い。
そう言った人はあえてなにも語らずに、普通に接するだけでかなり好感を得られると言うのが分かったし、ただ、いるだけで安堵してもらえることで、僕自身も
「居場所がもらえた」
と思って、うれしくなる。
で、ナルシストな部分は僕はまだ直っていなく、今思うのは
「ちょっと俺賢くなれたかな」
と言うことだ。
人が成長を実感するときは色々あるけれど、僕に限って言うのならば、
『自分に似たタイプの人間がやらかしているのをみて、恥ずかしく感じる時』
だと思う。
協感性羞恥
って奴だ。
これは現実だけじゃ無くて、漫画とかドラマとか見ているときに感じたりもする。
その行動に一瞬は目を反らすのだけれど、もう一度見つめ直して、改めて分析し直してみると何が良くないのか分かってきたりする。
成長の定義は色々あるけれど、自分の欠点を理解した上で、また自ら間違いを犯しそうになったとき、自ら改善できるようになった時、それは明らかに成長している証だと思う。
真面目で頭が人間の生き方。
頭が悪い中で生きていくのなら、
一人で頑張る時間
これをなんとか、捻出していくことだ。
具体的に僕が頑張ったことはブログだった。
でも最初はシンプルに文章を書くことだった。
パソコンのタイピングすら出来なかった僕は、まずは家電量販店で当時20万位するノートパソコンを買った。
ただホントはオンラインゲームをしたかったからと言うのと、DVDでアニメとか洋画を見たかったからとか、娯楽の色が濃かったように思う。
でも、だんだんと自分になにも無いと分かったときに、自分に出来ることは無いだろうか?と暗中模索していった結果、文章を書くことに行き着いた。
そこで、ひたすら文章を書く日々が始まった。ブラインドタッチは長文を書くなら必須の技術だった。けれど、身につくのが遅い僕はかなり戸惑った。
そう言った意味では、最近はスマホで文章を書いてそのまま、SNSとかnoteに自分の考え方を公開し、あまつさえ収益を得るチャンスもあるのでかなり恵まれていると思う。
やろうと思えば、スマホ片手に、安定的に月10万円を超える副収入だって得る機会だってある。勿論その域に到達するには、並大抵の犠牲では済まないけれど。
僕は慣れてきたら、アフィリエイトブログの運営をした
でも、全くもって結果が出なかった。けれど、それはあくまでも世間的にと言う意味で結果が出ないだった。
PV数も全く稼げず、収益なんて1年間頑張っても50円行けば良い方。
それでも、僕は自分の考えを文章に直し、ネットに公開出来る位には成長していた。でも、やっぱりやる気というモノを継続させるのには難儀した。
当時、アフィリエイトブログの効率的な運営手段としてツイッターアカウント(現X)を同時進行で成長させていくのが主流だったのだけど、僕は明らかに周りと比べて劣っていた。
ツイッターではブログサイトの成長報告をするというのがよくされていたのだが、僕より後に始めた若者が僕より先に結果を出したりしてて、改めて自分のちっぽけさに打ちひしがれた。
結局僕はツイッターをやめた。
ネガティブな情報が入る回数を削減することに舵を切った。
継続できなければ、結局意味が無いので僕はブログ一本に絞り、初志貫徹の思いで延々と文章を書き殴った。
職場で笑われた日も、大好きな芸能人が結婚発表した日も、インフルエンザで寝込んだ日。。。はさすがに休んだけれど。
最低でも1分はキーボードをタイピングする、と言う気持ち、、、石にかじりつくような気持ちで頑張り続けた。
書き続けてた内容は主に漫画や映画の感想だった。
これは当時から加入していたサブスクVOD(月額数千円であらゆる映画、ドラマ、アニメが見放題)のおかげでかなりはかどった
とはいえ、一本のブログ記事にするのには、作品に対して深い造詣が求められるし、露骨なネタバレ描写は法に触れるため、かなり手間取った。
それでも、僕は良いと思った作品を僕のブログに訪れた人に布教するつもりで、魅力的な部分や感動した部分を細部にわたって沢山書き綴った。
時としては自身の境遇と作品のキャラクターと照らし合わせたりして、書いた。
その中で起こったうれしいことは、文章を書き続け、自分の内面を言語化する過程の中で。自分の見えていなかったりする部分が発見できることがあって、そう言った部分も僕が文章を書き続けることが出来た要因かも知れない。
今の僕が昔と比べて、成長出来たのはそう言った部分によるところが非常に大きいと思う。
正直、やっていることはコバンザメみたいなモノだった。
だけど、当時の僕は本気だった。なぜなら、自分の中に一つも誇れる武器が無かったから。
「この作品の主人公の葛藤するところの綿密な描写が~」
「この作品の殺陣のリアリティが~」
「この作品の結末は漫画誌にのこるものだ~」
そうやって他人の書いたすごいモノを褒め称えたり、あるいは評論するぐらいしか能が無かったのだ。
(これは、有名人の名前を借りて意見したりするネット民と同じだと思っている。それを悪いことだと思わない。悪意が無い限りは。。。)
でも、そんな中でも、僕はほかの人がやっていないような努力を続けていられることに、少しずつの手応えと誇りを感じていった。
で、ある程度続けていったら、収益化することが出来たのだけど、ここに関しては詳しく書くつもりは無い。
この話の本質は、
「真面目で頭が悪い人間の努力」
にあるのだから。
僕が、当時、どういったことを感じて、未熟な自分自身を脱皮させるためにどういったアプローチをしていったかの方が大事になるのだ。
頭が悪い場合。文章を書いてみると良い
頭が悪いことを自覚しているなら、文章を書いてみると良いのでは無いかと思う。
書く手段はなんても良い。
僕の場合は、パソコンだったけど、今の時代はスマホ片手に文章を打つことも出来るし、それをネットに公開することが出来る。
まずは無料のブログサイトなんかを活用してみると良い。そこでネットコンテンツを生み出す感覚を体に覚え込ませる。
※コンテンツ
何かしらの価値をもった事柄のこと。オワコンとかのスラングはここから来ている。
スマホの性能について。
1年ぐらい前にiPhone6から13に買い換えたのだけど、明らかに性能が上がっていて、愕然とした。
少なくとも僕がアフィブログをやり始めたころより、格段にストレスを感じることは減った。
昔のスマホの情報処理能力ならば、ブログの更新をするのはとてもじゃないけど厳しかったのに対して、現在はnote、はてなブログの無料サービスブログ程度ならむしろそっちの方が断然、早く更新できたりする。
とすればハンドフリックで文章を形成していくのも、極めていけばかなりのスピードを出せるし高い金を出してPCを買う必要性も無くなってきている気もしている。
すこし、話がそれたから戻したい。
僕は頭が悪く生きづらいと感じたとき
一人で頑張れる時間。
これを捻出するべきだ、と書いたが仮にその時間を捻出出来たのならば
文章を書き続けること
に是非使ってみてほしいと思っている。毎日5分でも良い。会社に勤めているのなら、昼休憩の10分間でも良い。
休日にオンラインゲームをして丸一日を過ごすのなら、なんとか1時間捻出して書く。
継続していくと目に見えて情報処理のスピードが速くなる。これは、必要な事柄を厳選する力が磨かれるためだ。
頭の中に奔流のように流れる情報の取捨選択が出来ないために、「頭が悪い」という烙印を押される人は多い。
僕もその一人だと思う。
一方で教養がかけている者が口達者であったり、仕事をうまく捌くところを見たことはないだろうか。
彼らは情報の取捨選択に迷いがなく無駄なくプロットをこなすことができるため、正確な情報をアウトプットし続けた暁に抜きん出た成果が出せるのだ。
こういった能力を文を書くことで磨くことが出来ると感じる。
唯一の難点は続けることがこの上なく難しいということだ。これは先に書いておきたい。ブログを書くにしても、YouTubeで動画を作るにしても基本的に誰かに読んでもらえることは少ない。
そして、成果の出ない努力を続けることは限りなく不可能に近い。だから、必要最低限結果が早く出るように人気コンテンツについて書いてみるのはどうかと思う。
僕は漫画を好んで読んだし、映画も好んで見ていた。それをブログ記事として公開していた。
実例として、YouTubeなどでは、漫画の解説動画が高い再生数をたたき出している。
自身という人間は社会的に見て路傍の石だ。だから、少しズルをしてみる。しかし、ズルはズルでも作品の内容をバラすようなことをしたり、作品の展開を悪く言うのは違う。それは
『盗人猛々しい』
と言う奴だ。
とは言え、褒めちぎるだけではコンテンツとして成り立たない。
だから、作品を穴が空くぐらい読み込んで、話の構成やそこから来る作者の伝えたかったこと。これを自分のなりの言葉で説明できるようにする。
現代社会で生きていれば、平易なフレーズの陳列のみで意思疎通が出来る、そしてブログの記事に関してもそれでも、問題は無い。
だが、慣れてくると自分なりの書き方や文章構成のやり方などを理解でき、その上で文章を書けるようになる。
そうなると、現実世界でもかなり情報伝達力や読解力に磨きがかかってくるような気がする。
例えば、車の構造を知っていなくとも、運転免許を獲得し公道を走らせることは出来るが、内部構造を熟知しておけばとあらゆる不足の事態に対応することが可能になるだろう。
それと同じくして、情報伝達もどのようにして話を切り出し、緩急をつけ、結論を伝えれば良いのか深く理解しておけば、受け手側からのレスポンスも目に見えて変わってくる。
一見すると難しい作業だし、実際最初は難しいと思う。
けれど、この手の能力は自分でも思っている以上に堅実に伸びていってくれる。文章力は識字率ほぼ100%の日本国内において誰でも伸ばせる才能では無いかと思う。
唯一、伸ばすことが出来ない点は
「努力出来るか」
であるが、僕自身は乗り気じゃない日は割とサボっていたりした。
天気が悪い日にマラソンを中止にするようにしんどい日はデスクトップの手前、回れ右して、寝転がってスマホでYouTubeなどをみて動画を見ていた。
それで、罪悪感を感じて次の日に取り返す。的なことを延々と続けて、着実に文章を書く能力を磨いていったのだった。
そんなわけで、真面目で頭が悪い人に現在(令和6年11月4日(月))僕がレクチャーしたいことは以下。
まとめ
自分一人で努力できる時間を作り、なおかつ文章を書き続けてみる。
これ一つで人生そのものが変わるか否かは分からないが、少なくとも一石を投じる何かしらにはなるだろう。
突き詰めていけば、腕を磨くためにいろんな者に食指が向くようになる。そうなれば、楽しくなってくると思う。
図書館に行って本を読んでみたり、他の人が書く文章を参考にしたり、あるいは評論したり。そうなってしまえばこっちのもので、磨き上げた自身の情報伝達能力で何かしらを伝え続け、収益手段などを確立できれば万々歳かと思う。