自分という人間の評価が低すぎて、自分が要らないと思えてしまう。どうせ俺なんて、いたところで世の中の誰も困らないのだ。じゃあ、別に頑張らなくていいよね。
仕事も、恋愛も、人間関係も。
とか考えてしまう人は多くいるのではないかと思います。
人間は何を糧に生きているのか?と言えば、他人からの評価で生きているのだと思います。
人間は頭が良いので、体の栄養だけでなく、心の栄養を取る必要があります。
心の栄養における主成分は他人からの承認になると思います。人間という字は人の間とかきます。
これは、人が自分だけでは生きられないことを表しているのだと言われています。
人に認められるには相応の努力が必要になります。
しかし、認められたいと願って努力してもそれが空回りする人はいます。
皆が平等ではない。
それが現実。ここに来ている人は、自身の能力や存在価値に悲観して困っている人が多いのではないでしょうか。それを前提として、僕なりの考え方を書きたいと思います。
他人との向き合い方と同じくして、自分との向き合い方も重要です。実際に「セルフマネジメント」という言葉がある様に、それは根性や気合いではなく能力に当たるのです。
☆今回の話
- 人間は根本的に変われない
- 僕はそのままでいいと思っています
- 人を嫌いになることは体力を使います。
- 好きなことを極めていたら、周りに好きな人が増えていた話。
- 勇気とは一瞬発揮するものではなく、継続するもの。【努力が出来ない人へ】
まあ、大まかに言えば上の通りの話をしていきたいと思います。
読み方は自由ですが、お時間のある方(5分~10分)は上から順番に読んで行ってもらえれば幸いに思っています。
目次
1.人間は根本的に変われない話。
僕が思っていることを話せば、人間は根本的に変われない、ということです。
性格に難がある奴は、やはり性格に難があるのです。
勿論、変わろうとする努力をすることは大事ですし、その努力こそが今の現状を打破するただ一つの手段です。
しかし、自分を変えるために努力し、成長してもそれは結局のところ「自分の延長線上」になるわけであって、根本的な部分は替えられないと思っています。
仮に今の自分の性格が嫌いで現状から一歩も動けない人は自分を変えることを諦めてみることが一つではないかと思っています。
労力を割くことも一つですが、労力を割かないことも一つの手段です。
ただ、結果を出すための努力は出来る。
【前提の話】
自分を変えることは難しいことは事実です。
が、
強くはなれる
と思っています。
強さとは、
つまるところ、表面的な強さです。
よくアニメでは
「表面的な強さだけでは本当に強くなったとは言えない。」
みたいなセリフが出てきますが、
個人的に思っていることは、
「人間の強さは外面から作られる。」
ということです。
強くなることは難しいです。それでも自分を変えることに比べれば簡単です。上司に言われて「やりたくない自分を演じるとき」は精神的な苦痛が伴います。
一方、自分の能力を上げようとするときも同じく精神的な苦痛が伴います。が、その苦痛は性質が根本から違います。
人は「意味のある痛み」を習慣に出来れば強くなれます。
どれだけ頑張らなければならないのかで言えば、時間はかかります。少なくとも半年間はスキルを磨くことが必要になります。
でも、続ける中で結果が出なくとも、自信が身に付くと思います。
その自信が、弱い心を守る鎧になってくれます。すると、案外喋れるようになり、市民権を得られます。
その結果、人を嫌いにならなくて済んだりします。
人生は「いかに人を嫌いにならないか」を戦略的に考える事が大事だ。
勿論、今まで嫌いだった人間は嫌いなままですが、「これから嫌いになる予定だった人」のことを嫌いにならなくて済みます。
僕が思うに、人生というものは、
人を好きになることよりもいかに人を嫌いにならないかの方が大事だったりする
と思います。
人の恨みはすさまじいです。はるか昔から「呪い」という概念が現代に伝わっているのを見れば、分かると思います。
その人を嫌いになると日々意識していないときでも、精神力が削られます。これってとんでもない電力を使っているのです。
それが日常になると、日々力を削られて、何かやるべき時と遭いまみえた時に電池切れを起こして何も行動できなくなったりします。
世界は自分以外の他人で出来ている。
人を嫌わずに済むようになれば、意外と世界は悪くないものだと気づきます。
勿論、生理的に合わない人間はたくさんいます。それは仕方がありません。そういった時でも、
嫌い苦手な人間
と少しだけ、心の中で上方修正できる余白が出来ます。
そういった精神的な強さを獲得することが出来れば、それもまた自信になり、ちょっとだけ自分を好きになれます。
ですから、今の自分を変えるためには強くなってみることが一つだと思います。僕は賢くなり、稼げるようになりたかったのでアフィリエイトを頑張りました。
小汚い手段ではありますが、能力を伸ばすうえでは非常に役立ったと思っています。
2.好きなことを継続していたら、周りに好きな人が増えていた話。
僕は基本的には陰キャラ闇属性の人間なので、こういったことは言うのははばかります。
しかし、実際の話なので書きますと、
好きなことを継続していたら、周りに好きな人が増えていたりします。
僕が好きで継続したのは、軟式野球とアフィリエイトブログの運営ですが、本気で掘り下げていく内に同じレベルの人間とバッティングする機会が増えました。
で、同じ目線で語れるので意外と話があっていたりします。
人間の良い所を知るには、まず、自分のお気に入りの人を探すのが先決かと思います。
嫌いな人間と付き合っていても、人間の醜さしか見えてきません。勿論、嫌な人間と一緒にいることも経験になるので、そういった時間は大事にすべきです。
しかし、そういった人ばかりと一緒にいると、どんどん心が汚れていきます。
また、日々が恨みで黒色に染まります。世の中はいろいろな色があると言うのに、その色しか見れないのは損です。
しかしながら、大好きとは言わないまでも、「まあまあ、許容範囲の人間」と一緒にいる機会が増えるとおのずと人間を知ろうとする機会が増えるので、それが精神衛生上良い影響を与えてくれる気がします。
勿論、人が嫌いならばそれでもいいと思います。
それならば、自分が掘り下げるべき分野を本気で掘り下げて、納得のいくレベルまで昇華させましょう。
その道のりは険しいですが、自分に価値がないと考えるよりはマシかと思ったりします。
努力について、掘り下げたいと思います。努力が出来なくて自分の存在価値を疑う人へ。
自分を嫌いになったりする人は、努力が出来ないことも一つの理由になったりするのかもしれません。
僕自身もいまは機械のように作業をする術を身に着けましたが、昔は努力が苦手でした。
挑戦の仕方は、冷やかしでやっていました。
僕自身は挑戦するときは真面目に考えるのではなく、冷やかしでやっていました。
不思議なことに社会人になると、副業をしたり、何かしら別のスキルを磨いたりすることに多少なりともの悪意を感じてしまうものです。
僕がアフィリエイトをする時も、けっこう悪意を感じたりしました。会社が副業禁止だったこともあったので。
【5年間】工場員からアフィリエイターになった人間がここまでしてきた苦労とか残した結果について。【泥臭く】
ただ、そういった時にふと思いついたのがクソガキの時にやっていたいたづらの数々です。
僕は田舎育ちで、爆竹を車に踏ませたり、ピンポンダッシュをしたり、カエルをひもに括り付けてザリガニを釣り上げたり。
色々な悪さをやっていたのですが、大人になるにつれてそういったことをしなくなったのを覚えています。
大人の誠実さは「子供の好奇心」に負ける。
ただ、大人がやるアフィリエイトや転売、FXに株。その他もろもろのお金稼ぎも、やっていることは子供の時にやった悪さと変わりないんじゃないか。
そう思った結果として、僕は副業を始めることにした感じです。これを読んでいる人は大層、「真面目な人」が多いはず。
でも、大人になってみて、昔やった悪さの要領で「触れてはいけないだろうな」という世界に足を踏み込んでみると意外と知らなかったことが知れて、続いたりします。
勿論、こんな一人間のいうことに従う必要性なんてないですが、ちょっとだけやってみても良いと思います。
しかし、忘れてはならないこと。努力とは残酷であること
人に希望に与える人間は、そこにある絶望の存在も同時に伝える義務がある。
というのが、一人間の見解です。
アフィリエイトにしても次の記事で書いているのですが、
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【完全無料】アフィリエイト脳を育てる、アフィリエイトの基礎知識完全講義。【月10万円までの道のり】
どうも、ゆとりの殿堂です。 このページはこれからアフィリエイトを始めようとする人にアフィリエイトをどうやって進めていけばいいのかを解説する試みです。 アフィリエイトで稼ぐためにどうすれば ...
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簡単に稼ぐことはできません。明日から100万円稼げる方法があるのであれば、それは錬金術か何かです。
アフィリエイトは錬金術ではなく、仕組みづくりです。
良い家を建てるのに、ち密な計算、日々の地道な作業、そしてたびたび入る手直しが必要で結果的に時間がかかる様に。
半自動的にお金を稼ぎ続けるアフィリエイトブログを作るのにも、遥かなる努力が必要になります。
それは、先ほど言っていた冷やかしとか、悪さとかそういった分野ではなく、もっと誠実な努力が必要になります。
希望とは最初からあるものではない。続ける中で見出すものである。
ただ、希望があるとすれば続けているとスキルが身についてくるということです。アフィリエイトで身に付くスキルは
- ライティング
- マーケティング
この2種類です。
両者ともに、人間を相手にするのならばアフィリエイトのみならずあらゆる分野で活用できる「つぶしが効くスキル」です。
これが、上達してくると成果報酬は指数関数的に伸びあがっていき、大きな結果を残せることも本業を超える収益を得ることも可能です。
くどくなって申し訳ありませんが、その道は険しいですが。
でも、やる価値はあるのかなと、思っています。また、アフィリエイトが嫌いでも別の分野だってあります。
それらを知って、やばそうだったら逃げて、続きそうだったら続けて。それを繰り返していくと出来ることはちょっとずつ増えていくのかなと思います。
結論、勇気とは一瞬発揮するものではなく継続するものだ。
勇気というのは一瞬発揮するものではなく、継続していくものだ。
というのが僕が思っていることです。
一瞬だけ頑張ることは結構色々な人が出来ることです。しかし、歩き続けることは難しいのです。
努力とは短距離走ではなく、マラソンです。そのマラソンを速く走ることも立派ですが、結局は走り切ることが結果を残せる人だと思います。
そして、大抵走り切ることが出来た人は勇気を携えています。
勇気とは、走り続ける中で失敗を繰り返した人に育っていく才能だと思っています。そしてそれは、誰だって持っているものではありません。
悲しいことに、社会的に評価される才能ではありません。しかし、それを土台として身についていくスキルは社会的に評価されるものが多いです。
だから、自ら死地に足を踏み入れて、勇気を育てることは無謀ではなく、英断だと思ったりします。
まとめ:「自分が要らない」ってそもそも、世の中の人のほとんどが必要とされていません。
今それなりに視野が広がっていく中で感じていることを書けば、
そもそも、世の中で必要とされている人の方が稀
だということです。
人が本当に必要とされる機会なんてそもそもそんなにないです。
一件必要とされている人でも実は代わりがいたりします。
例えばアップルはスティーブ・ジョブスという絶対王者がいなくても会社として回っており、世界を牛耳るほどの影響力を誇ります。
唯一無二と呼ばれる存在でも代わりなんて腐るほどいるのです。
となれば、あなたの周りにいる人気者や、いじめっ子もそうであり、今は必要とされているけれど、別にそれはその人でなくとも務まるわけで。
社会とは結局のところは、足りないところに対して日々、埋め合わせがおこなわれるパズルでしかないのだと思います。
優秀な人間の代わりになる、優秀な替えはいるのです。それが日々新陳代謝としておこなわれているだけなのです。
自分がパズルのピースになれないことを嘆く気持ちを僕は理解できる。
パズルのピースになれなくて嘆く気持ちも分かります。自分はいらない存在なんだと、疎外感だって感じます。
それでも、パズルをやっている人はご存知の通り、ハマらないものはハマらないので、仕方ないと言えます。
そのハマらないピースに自分がなっただけの話です。
それならば、自分は一ピースとして素晴らしくなるために、努力し。
いつか、自分がハマることが出来る場所を見つけた時、いかんなく力を発揮できるように努力すればいいと思っています。
孤独で頑張ることよりも、世の中に不満を言う方が楽だ。
孤独の中で頑張る辛さは知っています。何もない所で益のない努力を繰り返すことはしんどいことです。
なので、サボりながら強くなりましょう。孤独なのでとやかく言う人はいません。
死ぬ気で頑張る時は死ぬ気で頑張って、サボる時は徹底的にサボる。
マイペースにやっていたら、いつか成果が出るときが来ます。月に50万円稼げる時、独立を考えればいいと思います。
そのときに、初めて、自分が価値のある人間かどうか考えてみればいいと思っています。
結論、やってみろ。
という話になるのですが、ずいぶん遠回りしたように感じます。