人生がマジでつまらない。
そういった時に僕たちにできることってあるのでしょうか。
そもそも、人生がつまらないのって誰のせいなのか。というところに行きつくのですが、それって誰のせいでもなかったりします。
というのは、僕自身も人生がつまらないって思ったりしたのですが、ある時を境にすごく楽しいと思えたからです。
目次
一般論と人生つまらない
一般的に人生が楽しいって言われているのは、多分10代の青春真っ盛りの時期、あるいは仕事や恋愛に熟度が生まれる20代の時ではないかと思います。
なんで、この時期に楽しいと言われているのかと言えば、
知らないことと知っていることのバランスがちょうどいいからだ、
と思っています。
10代
10代後半になると、社会の生き方とか結構分かってきたりします。その一方で未開の部分が沢山あります。
今自分が持っている武器や知識で、目の前の問題をクリアできるのか。そこで傷ついて挫折したり、そこから立ち上がるために試行錯誤したり。
結果的に、成果は出なくてもちょっとぐらい前進は出来たりします。そこで自分がどういった人間たるか、少しだけ輪郭が見えてくるのです。
この試行錯誤の間。ワクワクだってするし、時間の流れも濃くなるのです。だから、楽しい。
20代
また、20代もそれに近い所でしょう。20代になると、今度は10代にはなかった趣が生まれます。
今までやっていたことに対して、別の角度で見ることが出来るようになるのです。
例えば、全クリをすることだけが目的だったRPGに対して、どれだけのアイテムを集めることが出来るか?どれだけ最強の仲間を集めてクリアできるか。
そういった新しい角度の楽しみ方を見出すのが多分20代か、そこらなのだと思います。人は好奇心をエサに前に進む生物です。
だから、楽しい。
30代の人生はマジでつまらなくなる
で、30代とかになってくると、人生の生き方もある程度分かってきたりします。
というのは、自分のスペックがある程度固まってくるからです。
人間、30年も生きていると自分がどういった風に生きれば一番効率がいいのか分かってくるんです。
あの人には勝てないし、この仕事は向いてないだろうな。
じゃあ、自分はこのポジションでやろう
こういった感じで、スペックの把握と同時に、自身の生き方も固まってしまうのです。
問題は10代、20代でこの粋になってしまう人が多い
しかし、問題としては、この状況に10代、20代でなってしまう人が多い、
ということにあると思っています。
大谷と同年代
最近はネットもあるので、自分が社会においてどういった立ち位置なのか理解が容易になりました。
例えば、大谷翔平のすごさはネットを通じてより鮮明に分かるようになりました。
大谷翔平のすごさを、明確な数字やメジャーリーガーとの比較などが簡単にできてしまいます。
イチローのすごさをリアルタイムで見ている世代よりも、その凄さがリアルな質感をもって理解できるようになります。
イチローが世界に羽ばたいている世代は、イチローのすごさで励まされる人が多かったです。
しかし、大谷翔平のすごさを前に、ちょっとしたコンプレックスを抱いている人はイチローが活躍している時よりも増えた気がします。
僕はイチローのすごさも、大谷のすごさもリアルタイムで見ているゆとり世代なのですが、イチローが活躍しているときは純粋にそれを励みにしている人が多かったのに対し、大谷の残す偉業に対して自身を比較した結果、弱音を吐くようになった人がすごく多いと感じます。
一応、派遣業や会社員、それからネットを使って今仕事をしているのですが。
凄い人間を見て、励まされる
というより
凄い人を見て勇気をくじかれる
という人が、急増している気がします。
その他にも若者のコンプレックスを助長するものは多くある。
で、大谷翔平を例に出したのですが、その他にも有名人など、同年代のすごい人をみると、より自分という人間の弱さを理解できるようになってしまった時代かと思います。
ユーチューバーなど、ネットが普及したことによって、稼げる時代です。
その中には、一般人からでも結果を出している人が大勢います。そういった人たちがさらに自身の人生のくだらなさの実感に拍車をかけていたりもします。
僕が、マジつまらん人生を脱却出来たきっかけ
と、社会に対して見解を残したのですが、僕がつまらない人生を脱却出来たきっかけについて話します。
まあ、具体的な話をすれば、副業を始めたのが全て、だったのですが今回は良いとします。
心意気の話をすると、
ある程度、人生について諦めがついたとき
このタイミングで風向きが変わったと思いました。
僕は、割と夢追い人で日ごろから勉強とか筋トレとか頑張っていました。
何を目指しているのかわからないのですが、とにかく自分磨きを頑張っていました。
しかし、来る日も来る日も頑張れど、結果なんて出やしません。それプラス、仕事があまりできず、怒られてばかりでした。
で、気付けば「おっさん」と言っても差し支えない年になったときに、
「ああ、俺ってへぼだな」
と実感したわけです。
絶望に叩き落されてからの、立ち振る舞いを覚えた。
僕は一気に絶望に叩き落されたわけではありません。
時間経過でゆっくりと絶望に落ちていた感じです。
しかし、それゆえになかなか、立ち直れない感じでした。
ただ、自分が大したことないと分かったときに、底辺としての立ち振る舞いをある程度身に着けることが出来たのです。
当たり前ですが、世の中は不平等です。出来ない奴はとことんできません。そんなのは学校でも習います。
しかし、日本という国は存外優しくて、底辺の人間でも仕事にありつけることが出来ますし、恥さえしのげば彼女も出来ます。
だから、自分が粗大ごみ以下の存在であるという実感を中々に湧きにくいのです。で、周りもそれを中々指摘しません。
指摘したとしても、
「ま、そう言うことを思う人もいるだろ」
と、何処かで冗談的な意味合いとして受け取ってしまうのです。凹む人もいますが、どうせ1か月もしたら忘れてしまいます。
底辺として自覚した僕は、感覚が鋭くなった
おっさんで、もうある意味で開き直れる状態になった僕。
そうなったとき、感覚が鋭くなりました。
具体的には自分の負の部分に目が行くようになりました。
そして、その負の部分を分析した結果、始めたのがお金稼ぎだったのです。
何もないからこそ、一点集中。
で、僕自身色々なことが出来る人間じゃなかったのがプラスでした。
仮に、どんなことでも短時間でこなせる器用な奴だったら、今の人生とはまた違った人生だったと思います。
話は戻りますが、色々なことが出来なかった僕は生活のベクトルを一つの方向に向かわせることが出来たのです。
僕は、副業で、サイトの作成を始めることにしたのです。サイトを作成してアフィリエイトで稼ぐことにしました。
今現在はポピュラーであるアフィリエイトビジネスですが、この時からすでにメジャーで新規参入は厳しいと言われていました。
しかし、チャンスぐらいはあるだろうと考えて、アフィリエイトを頑張った結果、1年で引き出しが増えまくりました。
今まで、知識として溜めていた学びが知恵として実践できる環境になりました。
いま、あんたは底辺なの、それともまだやれるの?
とまあ、僕自身の人生経験を書いたのですが、ここで質問です。
今あなたは底辺なの、それとも、まだ何かやれるの?
ということ。
仮に底辺なら、諦めてみると良いと思います。
今までやってきた努力とか全て投げ売ってみてもいいんじゃないかなと思います。
君は能力があったから、そういった挑戦が出来た
と言われれば、それまでです。しかし、僕だって本当に何もない状況からスタートしたのです。
人生が、つまらないと思っている人はいろいろなことを中途半端に出来ているから、つまらない、ということはないでしょうか。
日本というちょっとだけ贅沢が出来る国では、お手頃な楽しみはすぐに手に入ります。アプリに課金すれば、つかの間の英雄になれます。
そういった人生なんて、そりゃ、つまらないと思います。
それなら、いっそのこと底辺に落ちたものだと決め込んで、一つずつ地に足つけて地道にやってみるのはどうでしょうか。
何もない所から、始める。
ということに年齢というのは関係ないような気がします。キレイごとですが、アフィサイトを運営して、それなりに収益がまとまりだして思うことです。
今は、アフィサイトでも収益化が出来ているのですが、他のことにしてもそうです。
ユーチューバーにしろ、そのほかのお金稼ぎにしろ、やっていない人は口癖のように
「もう時代遅れだ、新規参入しても稼げない」
といいます。
でも、やっていない人がそう言っている間にも、その分野で稼げている新参者は星の数よりも多いですよ。
だから、マジで人生がつまらないなら、かなぐり捨てて現実を受け止め、そこから再スタートを切っても良いと思うのですが、どうでしょうか。