人生がつまらない
そういったことを思って、やるせなく思っている人も結構いるのではないでしょうか。人生とはくだらない物。どうせうまくいかないもの。そう言った風に割り切れることが出来れば、どれだけ楽か。しかし現実はそうはいかない。人は生まれれば誰だって幸せを祈ってしまうものです。幸福に向かって努力してしまうものです。しかし、どれだけ頑張ってもうまくいかない。
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今回は人生がつまらないということについて掘り下げて考えていきたいと思います。
結論を言えば、つまらない人生は動き出さないことには変えることはできないと思っています。
動き出すことが出来れば1ミリぐらいは変わります。その1ミリこそが現状を変える力を持っている、これは歴史が証明していると言えます。
まあ、くだらない前置きはここまでしておき。今回はつまらない現状とこれからの人生を変える方法について考えていく旨です。今を変えることはそう簡単ではありません。それでも、不可能ではない。今が永遠に続くわけなんてないからです。
人生がつまらない人の苦悩
まずはここについて、考えていきたいと思います。人生がつまらないと思っている人の苦悩についてです。
基本的につまらないと思っているのは、日常が変わらないからだと思います。
特に社会人になればそれは顕著になります。同じ人間と顔を合わせて、同じ人間に怒られて、同じ人間の馬鹿に付き合い。同じ人間と仕事をする。この日常を無理に「面白い」「充実している」と思わないといけない。
最初のうちはなんとか自分を説得できると思います。しかし、気持ちとは大きくなるものです。繰り返す中でだんだんとこれから自分がどうやって年を取って、どうやって死んでいくのかを予想できるようになるのです。
結末が分かっているドラマ程つまらない物はありません。
未来が見えない、は歓迎できること。
未来が見えない。先が読めない。そう言った言葉は不安を表すような言葉のように思えます。しかし、未来が見えないということはまだ努力次第で自分の行く末を選ぶことが出来る。ということでもあります。一方で未来が見える。これは安心できるようで、最も恐ろしいことなのです。
そこには、頑張る理由もやりがいも、苦労も達成感もそれ相応の物しか用意されていません。なぜならば、ある程度予想できるからです。
予想できる未来に対してどれだけ頑張っても、積み上がるものはないし、次第に努力に対するモチベーションも下がっていく。そういった意味を置いて考えると。
未来が見えないことは歓迎できることではないか
というのが、僕の一結論です。先が見えないからこそ、今を必死で頑張り、明日をより良くしようと努力することが出来るのです。
未来を変える秘訣は今を変えること。
そう考えれば、結論は単純です。
今を変えることです。未来はそう簡単には変わりませんが、氷が解けていくように少しずつ変わっていくのです。とするのならば、今できることは氷を解かすために動くことであることは間違いないと言えます。
現状維持では何も起こりません。0は何も生みません。ですからマイナスでも良いので、何かを生み出してみようとすることが重要になるのだと僕は思っています。
とはいっても、今から努力することは難しい。
上の通り。
努力を始めることは何よりも難しいことです。どんな世界にも共通していること。スポーツにしても、副業にしても、筋トレにしてもです。
それは、0→1にすることの難しさです。最初の一歩を踏み出すことの難しさです。
人は何を始めるにしても、何かと理由をつけてやろうとしません。筋トレは忙しいからと逃げて、副業もどうせしんどいからと逃げて、勉強も・・・・
人間はなにかから逃げようとする才能は1人前だ。
人間は逃げることに関しては1人前です。天賦の才を持っていると言っても過言ではありません。それは上で説明した通りです。
ただ、つまらないと嘆いているのであれば、何かしら動き出し真っ向から物事にぶつかっていく方がはるかに効果的である、と僕は思っています。というのもこれは僕自身の人生経験も振り返って言えることだからです。
僕も22までも、つまらない人生を送っていた
22までずっとつまらなかったです。僕は落ちこぼれでした。周りの人間にも認めてもらえず。そして何よりも自分を認めることが出来ませんでした。自分一人を愛すことが出来なくて、そう言った人生を22歳まで続けていたわけです。
ただ、一念発起したものがあり、それはアフィリエイトでした。今現在も僕の収入の柱であるそれは、鬱屈した日常をぶち破る上では高い効果性を発揮したのだと思います。
つまらないに対する正当解は、何かを初めて、何かに打ち込むことだ。
結論は、
打ち込むこと。
これがつまらない人生に対するベストアンサーなのではないだろうか。と僕は思っています。人はご飯を食べて生きるように、やりがいを食べて生きているのです。やりがいをもとに心は豊かになる。
今取り組んでいることが楽しい、今やっている娯楽が楽しい、今一緒にいる人がいて楽しい。これらの正体は形はそれぞれ違えど「やりがい」なのだと思います。
人生がつまらない人は、このやりがいが徹底的かつ致命的なまでに不足している。欠けているのではないか。というのが僕が思うことです。
僕がおすすめすることは、ずばり金稼ぎです。
つまらない現状を変えるには、とても大きな困難が必要になります。困難が大きければ大きいほどにしんどくなります。「シンドイ」一見するとこれは避けたい事態であると思えるのですが、意外なことにしんどければしんどいほどに日常は充実してくるのです。
それはやはりといいますか、達成感というものがあるからですね。難しい難題であるほどにそれをクリアした時、人は達成感を感じます。
そして現代において、社会人が最も達成感を感じるべき壁はお金稼ぎになるのだと、僕は思っています。
お金稼ぎの難しさ
お金はすぐに稼げません。そこには時間と労力とスキルと気合が必要です。きっぱり言いますが、いろいろな要因が重ならないと手に入らないものです。すごくレアなものなのです。
しかしながら、一度手に入れることが出来るようになればなんとなく手合いがつかめてきます。それによって人は生きている実感と社会に認められている実感を得ることが出来ます。つまるところはここにお金稼ぎの醍醐味があるのだと僕は推察します。
お金稼ぎを覚えることで得られるモノはお金ではない。
お金稼ぎというスキルを身に着けることで得られるものはお金ではなく、そこに至る道のりで得ることが出来た「何かしら」なのだと思います。
僕の場合は知ること、がその「何かしら」に当たりました。
世の中はお金が回ることで出来ている。というのは、なんとなくわかることだと思います。これをもっと掘り下げて考えると、
お金を知ることが出来る=世界を知ることが出来る
ということになります。お金を知ることで自動的に世の中のコトワリにある程度触れることが出来、様々な生き方を学ぶことが出来ます。これによって僕の考え方は結構変わりました。見える景色も変わりました。強さの基準も変わりました。結論、それまでの人生で得てきた考え方が単なる一面でしかないということに気付きました。
そこで至った結論は、人生の本質は知ることにあるのだ。ということです。
知ることで自分の位置を知ることが出来る。知ることで、今の世間の声を知ることが出来る。それが結局は活きる中で一番のことで、つまらない今を変えるうえで大事なことなのだと。
今がつまらない、くだらないなら知ることです
お金稼ぎについて掘り下げて書きましたが、単にお金を稼げと言うのではなく。そこで知ることが出来る世界の広さについて知ってもらいたい。という真意があります。
今がつまらないのは世界が狭いから。というのが一つの理由として挙げられます。世界は狭いですが、広げようとしない人間の世界はもっと狭いです。そうした人間の日常が充実するかと言えば、それははなはだ難しいと言えます。
ゲームだって同じステージを延々と繰り返すだけでは、途中で飽きがくるでしょう。新しい武器や特技を覚え別のステージに挑戦するからこそ、それを神ゲーと称することが出来るのです。
人生も一緒です。スキルを得ることが出来れば選択肢が増え、今を変える力が手に入ります。そのスキルを手に入れるためには今を変える必要があるのです。
僕の場合はアフィリエイトという世界に踏み込みました。お金の稼ぎ方は思っているよりクリーンでした。そこは文学の世界が広がっていました。そこで副業をする罪悪感を取っ払い、ただ道を掘り下げていった次第です。
結果、日常は今までの2倍しんどくなりましたが、今までの8倍ほど(体感)充実するようになったものです。
人生がつまらない人は年齢制限をかけている。
年齢というのは非常に厄介です。人を挑戦者で無くす力があります。
書く言う僕も20歳を超えたあたりから自分の人生にある程度の悟りを開いたと思います。それは良くない悟りです。「どうせ、このまま」という生産性のない悟りです。
しかしながら、年齢というものはあってないものだと思っています。スキルという武器は本気で掘り下げることが出来れば、思っているよりも簡単に身に付くものだ。というのが思っていることです。
最初はくだらないことで良い。
僕の場合はブログを始めることも、ままなりませんでした。だからこそ、本を読みモチベーションを保つところからはじめました。
それでも良くて、目標に対して動けているという意識がちょっとずつ日常と日々の生き方を変えてくれるのです。
そして案外スキルというものは少なくていい。
お金稼ぎにおいて言えることは、何かしらを達成する時に必要なスキルというものはそれほど多くない。ということです。
柱となるスキルを一つ高めることが出来ていれば、後はそこをメインウェポンとして頑張っていくだけなのです。
例えば僕がやっているアフィリエイトは文章という武器を極めることが出来れば、後はなんとかなったりします。自分の書いた文章が良ければ時間とともに人がくるし、その文章を良いと思った人が物を買ってくれる。そしてそれを続けていけば、収益が倍々ゲームで伸びていく感じです。
勿論、それだけで何とかなることはない。
ただ、文章を極めるだけでは結果は出ません。それに付随するサブウェポンもそれなりに磨いていく必要があります。
マーケティングにおける知識も大事だし、文章は文章でもコピーライティングやセールスライティングなどあらゆる「書き方」も学んでいく必要があります。そういった意味において一つを極めるだけで成果を出し続けることは難しいです。
しかしながら、やはり基盤となる武器が強くあればあるほど、結果が速く出るし稼げる金額にも際限がなくなります。
ですからその分野における、最も必要なことに力を注ぎ続けそこを磨くことに注力することです。そうすれば、思っているよりも簡単にお金を稼ぐことが出来るのです。
副業は悪?
これに関しては、「悪」なのかもしれません。しかしながら、時代の価値観に合わせて努力をしなければ他の手段を選ばない奴にどんどん先を越されてしまい。自分はいつまでたっても浮かばれないということになります。
副業は外せないと思う。
そういった意味において副業は外せないと思っています。その理由は実戦経験にあります。
虎は獲物を狩ることで、獲物の急所を知り。一流のドリブラーは敵陣に攻め込むことでゴールにつながるアシストや、点に直結するシュートの打ち方を覚えるわけです。
お金稼ぎも同様にお金稼ぎの場に自らを置くことで、その真髄に触れることが出来るのだと僕は思っています。百聞は一見に如かず、机上の空論。そう言った言葉が世の中にはあるわけですが、実際に現場に赴かなければわからないことがあります。それも、腐るほどあります。だからこそ、自分で稼ぐことが大事なのです。
評論家の意見なんて参考になりません。あなたにはあなたの。僕には僕のやり方があるからです。それはプロ野球選手の打ち方が一人一人違うのと同じようなものです。
自分の打ち方を覚えないことには、お金稼ぎでは高打率を残せない。だからこそ、副業は外せないと僕は思っています。
とはいっても、1人間の意見
書く言う僕は自分がずば抜けた天才ではないと自覚していて、僕の副業をしないと稼げない。という認識も100%あっているとは言えません。
また人生がつまらないという今回の話も同様です。打ち込めるものがあれば、人生は充実することは紛れもない事実です。が、別に打ち込むことがなくても幸せな人だっています。慎ましい家庭に幸福を感じる人や、当たり前の日常を繰り返すことが出来ていることに充実を感じる人もいるはずです。
そう言った人は打ち込むことや没頭するものがなくても良いわけです。
とはいってもここに来る人は
自分で調べて、ここに来る人はそう言った普通とか、落ちこぼれている自分とか、ありふれた日常とか。
刺激がない毎日に退屈している人なのではないかと思います。なぜそう言えるのかは、僕がそう言った人間だったからです。そう言った場合ならば、やはり副業をすることが一つの解なのではないかと思っています。
世界を知り、己を知り、そしてお金の本質を知る。これを日々の努力の中で学べる点。会社員をしながら血肉にできることを考えれば副業はいいものだと。
最後に言いたいこと。
ある程度つまらないことは仕方がない。
どんなドラマでも、漫画でも、小説でも中だるみする部分はあります。僕はonepeaceのデービーバックファイト編はあまり読み返しません。人生でも同じです。やはり中だるみに当たる部分があり、そう言った時はどれだけ頑張っていてもそれが成果にならないのです。
ただ、そこで頑張れるか否かが成功者とそうでない人の分かれ道であると思っています。
つまらない時は、つまらないなりを楽しもう。
ちょっとした矛盾になるのですが、つまらない日常を楽しめるようにするのも一つの能力で、それは努力で磨くことが出来ると思います。
味がない食材・・・キュウリとか大根だって味付け次第では化けるように。味気のない日常も、スパイス次第では化けるのです。僕にとってのそれは名作の数々でした。
アニメ、映画、小説。なんでもいいのです。そこから感じ取れる何かが日々を楽しく。人間を大人にするわけです。
オススメの作品はハンターハンターのキメラアント編です。
人間と人外、努力と才能、強者と弱者。慈悲と無慈悲。あらゆる対比をもとにえがれた名タイトルは色あせません。
これほどまでに芸術的かつ哲学的な話はなかなかお目にかかれないかと思います。
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ということで、まあいろいろ書いたのでここらへんでお暇します。
一言
1を1万にするより、0を1にする方がずっと難しい。