人生に疲れた。
生きていると誰だって疲れます。
人が疲れるのは、なぜなのかと言えば、頑張って生きるからですね。しかし、頑張って生きることは当たり前です。
生きていて疲れない方法もあると言えばあります。それは他人に認められること。端的に言えば、
褒められることです。
自分の頑張りや苦しみを理解して、褒めてくれる人がいれば、すごく精神的に楽になると経験から思っています。
ただ。
誉められるためには、頑張ってなおかつ多くの人に認められる実績を積み上げねばなりません。
しかしその実績というのは、やれと言われて積み上げられるモノでもありません。
才能や他者を隔絶する努力。
才能がないのであれば、多くの時間をかける必要だって出てくるでしょう。
ということで、普通に生きているだけでは誰も褒めてくれません。
良いパートナーがいれば、仕事終わりに家でよしよししてくれるかもしれませんが、そんな相手に恵まれているのはごく一部です。
目次
多くの社会人は日々、疲れを蓄積しながら生きるしかない。
多くの人は、日々、社会の中ですり減って生きていくしかないと思います。
しかし、そんな世の中でも文句ひとつ言わず、むしろ日々エネルギーに満ちて活動している人がいたりします。
40代や50代、世間的に見れば守りに入るような歳の人でもどんどん挑戦していける。
そんな人が多くいます。
そういった人たちを見てみると、僕たちと何が違うのか、少し興味が湧いてきたりもします。もっとも、疲れている人はそういった他者に目を向けることすら余力がないので、このページに来ている人が多くいるのだとは思います。
人生に疲れていた僕の話を少しだけ。
僕自身は、その昔、月曜日になれば軽いうつが発症する程度に人生につかれていました。工場員だったのですが、ダイハツタントで工場に向かう途中、
「ここを右に回れば、国道9号線で実家に帰れるんだよな」
大阪で働いていたのですが、僕の実家は京都の中部にあり、アクセスする道として国道9号線があったのです。
そういったことを踏まえて、本気で実家に帰って泣きつこうととしていました。しかし、なんとかこらえて日々工場に向かっていました。
精神的にはすごくボロボロだったと思っています。
まあ、こんな状態、今ここに来ている人に比べれば大分軽傷でしょう。
しかし、その状態から色々、試行錯誤して今現在は毎日を前向きに活きられているような気がします。勿論、人の手は借りました。しかし、元来が口下手な僕は中々人の助けというものを借りることが出来ません。
そういった中で、
ある程度自分の力ではい上がった
と思っています。
ですので、今ここに来ている疲れている人にそれなりに力添え出来ると思っています。
注意点
とはいえ、疲れるのベクトルが僕とここに来てくれた方々では違うかもしれません。そういった場合は、素直にすみませんと言う他ないです。
それでも、僕自身の経験を踏まえて書くので、コピペッぽい内容の他のサイトよりは参考になると思ったりします。
人生が疲れている時にやってはいけないこと3選。
多くの場合、人生が疲れている人に向けて
やった方が良いこと
を享受すると思います。
しかし、疲れているのだから、能動的には動けない。というのが多くの場合ではないかと思います。ですから、疲れているのであれば
やってはいけないこと
こちらを意識する方が良いのではないか?と僕は思ったりします。
ぶっちゃけ、やった方が良いことなんて、探せば無限にあるのです。
むしろ、やるべきことを選んでいる時に決断疲れを起こしてしまう。
それもまた、精神的な疲れの要因ではないかと思っています。
疲れている時にやってはいけないこと1.ネットのゴシップを見る。
僕がその昔、愛用していたサイトがあります。それが2チャンネルまとめサイトです。(現5ちゃんまとめ)
今の時代、気軽に人の意見を見ることが出来ます。良い意見を見ることも出来れば、その逆もしかりです。世間で悪いことをした人がいれば、すぐに叩いてる集団を見ることが出来ます。
火事場には野次馬が集まりますし、そういったところを見ているのはどこか楽しさすら覚えてしまいます。僕が使っていた2チャンネルなんかもそういった悪口や罵倒で日々溢れていました。
僕自身は、そういった悪口を見ながら朝昼晩過ごしていました。工場の食堂でも2チャンネルを開いてみていたりしました。ご飯を食べながらです。時にはトイレで用を足すときなんかも、見ていました。
今思えば、麻薬を吸うぐらいにやばいことをしていたなと思っています。
人は汚い言葉に触れるほどに、心が腐り落ちる。
恐ろしいことに、そういったサイトを見ていると、いつの間にか心が汚染されていくのです。物事に対して否定的な目や懐疑的な目を向けてしまいます。
暴力的な言葉は、深層心理に残り続けます。タバコを吸い続ければ肺の色が濁る様に、悪い言葉はどんどん自身の心の色彩を奪います。
冒頭でも語りましたが、精神的に疲れることは、社会で生きているのであれば当たり前です。
しかし、その疲れを加速させるのは精神的な土壌にあると思います。
心の根が腐っていれば、どれだけ良いことがあっても、それを「良いこと」とはとらえられなくなります。
オアシスの水でさえも、泥水に見えてしまいます。その結果、普通の人よりも倍疲れやすくなってしまうわけです。
2チャンネルだけではない。ネットの声はどんどんデカくなっている。
ネットの声はどんどんデカくなっています。YouTubeのコメント欄でも、一人の人間を叩く集団が数え切れないほどいます。
しかもそいつらの顔を見ることはできません。
そして、人は見えないものを大きい物と捉えてしまうために、匿名のコメントを「正しいものである。」と捉えてしまうことも少なくありません。
どれだけ、自分の中で分別しようとしてもです。
その結果、善悪の基準が狂わされてしまい、それが日常生活に波及し日々を生きにくくなります。
ネットに触れずに生きることは難しいが、対策は出来る
今ネットを触らずに生きることは難しいです。それは理解できます。しかし、自らが負のエネルギーにあふれている場所に行くことは自殺行為であると、僕自身は認識しています。
それを踏まえて、ネットを触る時は、毒ガス対策をする時にガスマスクをするように、ある程度のワンクッション何かしらの対策を促していくことが大事です。
自分の心に負の感情が芽生えたのであれば、すぐに視聴を辞めるなり、出来ることはあるはずです。
疲れている時にやってはいけないこと2.未来を考える事。
将来的なことを考えることも、疲れる要因ではないかと思っています。
将来というものに希望を見出せるのは、ごく一握りの強者と前途有望な若者ぐらいです。
普通に生きている人は、常に未来を憂いているものです。それは未来というものの最終地点には死が待っているからだと思っています。人は根源的に死を怖がるものであり、その死に直結する未来は、本能的に恐れるようになっているのではないか、と僕は思ったりします。
今現在、それなりに仕事が出来たり、私生活が上手くいっている人は未来を憂うのは一瞬かもしれません。
しかし、考えすぎたりしている人は未来について本気で悩んで、日々眠れない夜を過ごしているモノではないかと思っています。
未来を忘れる方法はない。
未来を忘れる方法はありません。
しかし、一時的に遠ざける方法があります。
それはがむしゃらに今を生きることです。
苦しくても良いし、楽しくても良いです。とにかく未来を忘れさせるような飛び切りの「今」が恐怖心をやすらげてくれます。
しかし、現実は厳しくほとんどの楽しいことは、長続きしません。
厳しいことを言いますが、
自分のためになることを前提とした苦しいことを日々繰り返していくこと。
つまるところは、修練を日々積み重ねることこそが、未来という恐怖に対抗する一つの手段ではないかと思ったりします。
良い未来を得たいから努力するのではなく、最悪の未来を回避するために、仕方なく努力するのです。
少年漫画のようなキレイごとではありません。しかし、今人生のどん底を味わっている人であるのならば、これぐらいの意識の方が良いような気がします。
僕自身がやった事。
工場員であることに、疑問を感じていました。
このまま生きていても、俺ずっとこのままだよな
と。
で副業をやっていました。
元手がほとんどかからない(1万程度)アフィリエイトサイトの作成に力を入れ、工場から帰ってきて、毎日頑張っていました。
最初は要領がつかめず、そもそもの話「頑張り方」すらわからなかったので30分と持たずにパソコンの前から逃げていました。
しかし、ある程度要領を掴み始めて、売れるサイトの作り方を学びました。最初の半年間は全くもって成果が出ませんでしたが、そこで教材を一つ購入しそこからノウハウを吸収しつつ作業をします。
今でも覚えています。購入したのは1万7000円ほどのトレンドサイトの作り方について掘り下げた教材です。
僕はそこに書いてあることを実践&咀嚼を繰り返し、別名「トレンドアフィリエイト」を自家薬籠中の物にしていきました。
すると、1月で1万PVを達成し、そこからどんどんPV数が増えました。ここら辺から作業に熱が入っていき、気付けば未来よりも「今」に焦点が合うようになり、がむしゃらに頑張っていたら、月当たりに30万円を稼げるようになったのです。
手段は褒められたものではありませんが、当時の僕にはそれぐらいしか手段が残されていなかったのです。
我ながら、頑張ったなと思っています。
【お金を稼ぐ意味】社会人がアフィリエイトをする価値について解説。【数字を追いかける重要性も解説】
疲れている時にやってはいけないこと3.ポジティブな情報に触れる
疲れている時は、どうしても良いものが「より良い物」に見えてしまいます。そして持たざる自分を卑下してしまいます。
気候などで乾燥地帯に住んでおり日常的に喉が渇いている人は、都市部公園に置いてある噴水式水道水でも清水に見えるものです。
自身が悪ければ、自動的にそこそこ良いものが格上げされて、心から欲するようになるのです。
隣の芝生は青く見える
といいますが、自身が上手くいっていないと、隣の芝は黄金に見えます。
さきほど、ネットを見てはいけないと言いました、これはネガティブなニュースをともかくは避けるためです。しかし、疲れている時はポジティブなものにも触れてはいけないのです。
ポジティブなものに触れてポジティブになれるのは、元々がポジティブな人だけです。
カップル談話で盛り上げるのは
美男美女のカップルの成立を見て
あのカップルって応援したくなるよね!
とか言う人がいますが、そんなのは100建前であると思っています。
多分、そのカップルが成立するときよりも、そのカップルが破局したときの方がお酒は美味しく飲めると思います。
でも、人間ってそんなものなのです。そこに良いものがある分、差額として自らの心には負のエネルギーが蓄積されるのです。
だからこそ、「ポジティブな情報に触れるな」ということです。
自身の心が健やかに保てている時は、「俺も負けてられるか!」と思って奮起できるかもしれません。
が、今回のようにバキバキに壊れてどうしようもない場合、心は悪い方向に向くものではないかと思っています。
触れてはいけないポジティブ情報
しかし、芸能人が結婚したとか、大谷がホームランを打ちまくっているとか、そういったポジティブな情報はもはやスケールが違い過ぎて大丈夫です。
問題なのは、身近にあるポジティブな情報です。
自分の友達がSNSでリア充アピールをしているとか、自分よりも後に始めた人がすこぶる上手くいっているとか、そういった類の情報こそがシャットアウトすべきものです。
経験上というか、世にいるみんなだと思います。そういった類の情報が人の心を焦らせてしまい、結果的に良くない方向を向かせてしまうものなのだと思っています。
もし仮に見てしまった場合は、「俺には関係ない」と割り切って目の前の作業に集中するほか道はないかと思われます。
以上が僕自身が人生に疲れている時にやらないようにしていたこと。
- ゴシップに触れない
- 未来を考えない
- ポジティブな情報に触れない
これらが僕自身が疲れている時に意識していたことです。
これは経験則ですが、人が上手くいっていないときというのは2つあります。
一つはやるべきことを出来ていないときです。もう一つが、やらなくていいことをやってしまっている時なのです。
人生は引き算だ
そして、不思議なことに人生につかれているほとんどの人が余計なことをやってしまっていることが多いのです。
行動や思考に余分な脂肪がついているからこそ、心もやんでしまうのかと思っています。
しかし、そういった時こそ、「省く勇気」を持つことが大事かと思っています。引き算の美学というものが芸術の世界にはあるらしいです。
それは、私生活にも一つ通ずる考えではないかと思ったりします。余計なことをことをしてしまうから、余計なことを考えてしまう。
その結果、良くない思考が生まれるのです。そして良くない思考は行動にも影響し始めて、対人関係や仕事にも悪影響を及ぼす。
大事なことは、枝に装飾をすることではなく、腐っている枝を切り落とすことです。
それこそが、おいしい果実や美しい花を咲かせる一番の近道です。
しかし、上手くいかない時ほど、上手くいく方法を探してしまうものです。でも繰り返しますが、そんなのは後回しです。
最後に
今回は、
疲れる
という、人生の課題について書きました。
そして、対策手段を書きました。
しかし、厳しいことを言いますと、
人生ってそもそも、すごくめんどくさいことなんですよ
朝起きるのもめんどくさいし、流れ作業をこなすこともめんどくさい。ご飯を作るのだって、人と会うのだって、全てはめんどくさいのです。
それでも、人は生まれてきた以上、「ちゃんと生きる」と言う使命を負わされてしまいます。
何が言いたいかと言えば、最終的にどういった風に生きるのかは、自分で決めるしかないということです。
自分で考えない人は、誰かに良いように使われる
めんどくさいからと言って、何も動き出さなければ自分の人生はよくわからない誰かの物になってしまいます。レールを敷かれ、良いように使われ、不完全燃焼のまま棺桶に入り、物理的に完全燃焼させられてしまいます。
そうならないためには、めんどくさいと言いながら頑張るしかないのです。
ジャンプの主人公みたいにやる気は漲らせなくてもいいのです。「仕方ないから頑張るか」、そういった気持ちで1ミリずつ進んでいきましょう。
他人の目もたまに気にして、基本は自分本位で生きてみると良いです。そうやって生きていると、たまに良いことがあると思います。
神様も残酷ではなく、頑張った人には多少に褒美をくれるモノであると僕は思ったりします。
それを踏まえて、今回書いたことを今現在、生きることが疲れている人が見てくれて
「こういった生き方もあるんだ」
と、参考にしつつ、10分の1でも参考にしてもらえれば、すごくうれしく思います。
ともかく、書きたいことも書き終えたので今回はここまでとします。